Myストーリー : 清水 幹裕様

2011年06月23日(木)

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「東大生よ、恥をかけ」

清水 幹裕様(しみず つねひろ)

弁護士 清水法律事務所
1967年 法学部公法コース卒業。野球部OB
1966年~2007年 東京六大学野球審判員
1980年~2000年 高校野球審判員

現役時代

学業は試験の日を入れて大学へ行ったのが2週間(笑)。野球部に夢中だった。東京六大学はそれなりに人気があった。東大の1年上には新治伸治(にいはりしんじ)投手。東大卒プロ野球第1号として大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)に行かれた。1年下に井出(峻)。彼は中日に行った。上下にプロ野球に行く選手がいてまあまあの試合ができた。そういう時代だ。

審判員

当然留年した。六大学野球は各大学から野球部OBが3人ずつ出て審判をする。東大の先輩が転勤になり「清水さん、暇ですよね。」と引き込まれた。これが僕の運命を変えた。野球は嫌いじゃない。審判も嫌じゃなかったがこんなに長くやるとは思わなかった。取り憑かれたように40年間やった。案外人間は自分の好きなことは分からない。嫌じゃなかったらやってみる。気楽な気持ちで続けてみる。これが好きなものを探す秘けつだろう。
 

名監督の条件

実際に目の前で見た名監督の共通点は第一に「明るくて潔いこと」。明治大学の島岡(吉郎)さんは圧倒的に印象深い。ルールも技術も知らないが人をほれさせる。「何とかせい。しっかりせい。」と言うだけだ。それで明治の学生は何とかするし、しっかりする。次は「悪いことは悪いとキチッとしかれること」。横浜高校の松坂(大輔)が3年生の夏、PL学園との延長17回の翌日、明徳義塾戦の球審をやった。6対0で負けていて全然元気がない。8回に渡辺(元智)監督の声が聞こえた。「貴様ら、勝つ気はあるのか!」とものすごい声。甲子園は球審からベンチは遠い。後にも先にも監督の声が聞こえたのは上宮高校の山上(烈)監督とその2回だけだ。その声で横浜高校ナインは目を覚まし逆転する。
 

名選手列伝

甲子園、前記の明徳義塾戦にリリーフした松坂の2球目はワンバンドすると思ったくらい低かった。それが浮き上がるように伸びてストライクになった。思わずバッターと目を見合わせた。ボールの伸びが違う。こんな投手は打てない。だが、総合力でいうと神宮で見た法政大学の江川卓がはるかに上だ。コントロールがすごい。江川は1球目に意図的にボール1つ外す。そして審判(自分)の判定に対し江川は大学生のくせに「え?」という顔をする。「そういえば」とちょっとドキドキする。その心境を見通して彼は次にボール半個分外して投げる。審判は半個くらいのボールは簡単に分かる。ところがわずかな動揺が影響して「ボール」と言えない。思わず「ストライク」と言ってしまう。それを江川ストライクという。バッターでは甲子園で見たPL学園の清原(和博)が際立っている。普通のバッターはボールが5メートルまで来たら打ちに行く。清原はベース上にボールが来てから打ち始める。「なんでこんないい球を打たないのか?」と思っているとスパッと打つ。それでスタンドに入る。スイングスピードが違う。ものすごいバッターだった。松井(秀喜)もすごい選手だったが、清原の方がすごい。江川や清原が長島や王のように練習したら日本の野球は変わっていたと思う。
 

東大生よ、恥をかけ

神宮で判定を間違えるとむちゃくちゃに文句を言われる。特に東大の審判には厳しい。「清水、お前は野球も下手だったけど審判も下手だな。」穴があったら入りたいと思う。経験したこともない恥ずかしさだ。それが自分を鍛えてくれた。今まで失敗したことがない人が人前で恥をかくともう立ち直れない。東大生は勉強ができるからばとうされたことがない。そのせいかどこか頼りがいがない。逆境になったら壊れそうだ。頭だけで生きている。根性で生きているんじゃない。僕も絶対にそうだった。神宮で審判の経験をしなかったら、そのままだった。人間の本当の価値は人に負けたとき、失敗したときにどう立ち直ったか、どう立ち直ろうと頑張ったかにある。東大生はもっと恥をかいた方がいい。万座で恥をかくのはいいことだ。後輩はかわいい。それだけに恥をかいて強くなってほしいと思う。
 

野球と弁護士業

野球と審判の経験は役に立っている。事件の相手から「先生、気に入った。」と紹介をもらうことが何度もある。敵だったはずの相手の弁護士から「僕の依頼者が先生のことを気に入ったので紹介するよ。」と言ってくる。うれしいことだ。日本人には義理とか人情とか「ほれたよ、お前に。」という、理屈を超えたところがある。こちらもプロだから裁判で勝つか負けるかは分かる。でも「どう負けるか」が勝負。今の若手は「勝てません」と判断が早い。それはそうだ。しかし、「あれだけやってもらえば負けても仕方ない。あの金は惜しくない。」と言ってもらえば、そういう弁護が一番いい。負けることもある。それを審判の世界で学んだ。
 

東大に寄付をした理由

寄付したのは東大が好きだからだ。東京大学には文句はない。東大生には文句がある。あれだけすごい教育をしてもらって感謝の念がない。僕は若いのと飲みに行くのが好きだ。他校の学生は次に神宮で会うと「清水さん、またお願いします。」ととてもかわいい。東大生は「ごちそうさま」だけで下手をすると黙っている。何かされることが当たり前だと思っている。僕は2週間しか授業に行っていないけど、東京大学は好きだ。いっぱいお金があったら、いっぱい寄付したい。 

聞き手:廣瀬 聡(渉外本部シニアディレクター)
※肩書きはインタビュー当時のものです。