第三回 : 漆原 茂様

2007年05月10日 (木)

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漆原 茂(うるしばら・しげる)

ウルシステムズ株式会社 代表取締役社長
1965年2月24日生

神奈川県出身。高校卒業後、東京大学理科一類へ進学し、工学部計数工学科へ。1987年(昭和62年)に卒業。同年、沖電気工業に入社。同社在籍中の2年間、スタンフォード大学コンピュータシステム研究所客員研究員。帰国後、オープン系大規模トランザクション処理システムを多数手がけ、製造・流通、公共、通信、金融などの業務システム構築を実施。2000年7月、ウルシステムズを設立し、代表取締役に就任。2006年2月21日、JASDAQ市場に上場を果たした。

寄付者紹介

2006年2月21日、JASDAQ市場に上場を果たしたウルシステムズ株式会社。2000年7月の設立以来、クライアントに最適なITソリューションを提供中だ。創業者であり、代表取締役社長を務めるのが、1987年に工学部計数工学科を卒業した漆原茂氏。社業としてIT業界の改善と発展に全力を尽くしながら、母校、東京大学への支援も続けている。今回はそんな漆原氏に、学生時代の思い出や起業の想い、東大への期待をうかがった。

最先端のコンピュータ技術を学ぶため、
理科一類に進学

中高生時代の頃から、ITに大きな可能性を感じていました。きっとこれからコンピュータが世の中を変えていく。すごいことができそうだと。プログラミングができれば自分でゲームを作れるとわかってからは、秋葉原に行っては部品を調達し、自作のコンピュータをつくるようになりました。東京大学に進学しようと思ったのも、単純に最先端のコンピュータサイエンスを学べそうだと考えたからです。そして、工学部への道がある理科一類に進学しました。

大学時代に夢中になったのは、まず麻雀ですね(笑)。あとは生活費を稼ぐためのバイト。家庭教師をはじめいろいろ経験しました。音楽サークルにも足を突っ込んでいました。そういった意味で駒場の教養時代は、できの悪い学生だったと思います。理数系の授業を受けるたびに、やっている意味がどんどんわからなくなる。例えば誰々さんの方程式とか、確かに式を解くことはできるのですが、私はそこに現実世界との大きな乖離を感じてしまって。一方で、コンピュータは実際に目の前にあって、自分がプログラミングすれば指示したとおりに動きます。目に見えない理論よりも私はやはり実践が好き。自分はアカデミック向きではないと、駒場時代に悟りましたね。

そこでコンピュータを学び、また、そこで学んだものを社会に役立てるための実践的研究をしようと、工学部計数工学科へ進んだのです。研究室では、複数のCPUを搭載することでコンピュータの処理速度を高めるマルチプロセッサーのアーキテクチャーを主に研究しました。この実験には没頭できましたね。研究室にはなぜか卓球台があって、ピンポンにも熱中しましたが(笑)。

研究室での思い出です。実験でハードを組むための部品を秋葉原で購入し、後になって研究室の方にひどく怒られたことがあります。確か数万円という額でしたが、許可なく勝手に買ってしまったので(笑)、当たり前ですよね。でもこの経験から、研究費の大切さを痛感しました。あと、大学ってお金がないんだな、潤沢な資金があればもっと面白い研究ができるのにという思いも持ちました。

研究室では企業から協賛していただいた、当時最先端のコンピュータを使えたことが非常に有意義でしたね。「日本のコンピュータ企業はすごい。この分野では大学より企業のほうが進んでいるし、潤沢な研究費があるんだ」と、うらやましく感じたことを鮮明に覚えています。

沖電気工業を辞し、
自ら起業の道を選択

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東京大学を卒業した私は、沖電気工業に就職させていただきました。3年目に会社の支援を受け、米国スタンフォード大学のコンピュータシステム研究所客員研究員として渡米。大学を卒業して実社会を少しかじった3年目というタイミングもちょうど良かったのだと思います。もしも過去に戻れるのなら、あのころに戻りたいですね(笑)。非常に良い経験をさせていただいた沖電気には今でもすごく感謝しています。

スタンフォード大学では大規模並列処理コンピュータの研究をしていたのですが、米国だけでなく、中国、インド、イラン、チリなど世界各国からものすごく優秀な人材がやってきて、それぞれの研究課題に取り組みつつ、全員が協力しながら最先端を目指すわけです。留学生としての立場、国籍や年齢など一切関係なく、意義のある独自の成果とは何なのか、求めるゴールはそこだけ。施設だけではなくヒトもすごい。世界有数の環境とはこのことかという思いを抱きました。

米国の研究生活を通じて、インターネットの時代が到来することも、グローバルな視点で見たときに日本には遅れている分野があることもわかってきました。もはやこれは社会変革のレベル。指をくわえて見ている場合ではない。私は1991年に帰国し、社業に復帰します。

90年代はオープンシステムが開花し、やがてインターネットが一気に拡大し、JAVAなどの先端技術が来ました。エンジニアの私にとってそれはそれは幸せな時代でした。しかし2000年問題、ネットバブルの崩壊というきっかけを契機に、これまでの自分を振り返ってみたのです。自分の作ったシステムが必ずしもお客様の事業に貢献できているとは思えないし、業界も疲弊している。自分がIT業界でしてきたことは何だったのか? 大きく反省して課題を3つに絞りました。

まず、経営の役に立っていないITをたくさん産んでしまったこと。過剰なまでにIT投資を煽った結果お客様の期待を裏切ることになってしまいました。次に、IT業界が「一人月いくら」という労働集約型産業になってしまったこと。これでは技術者が疲弊してしまいます。値段も下がっていく。そして、欧米の売れている技術ばかりを持ってきて売り続けたこと。日本に技術が残らなくなってしまいます。これらが産み出したのはクライアントからのITへの不信感と、IT業界の疲弊感だけ。会社は確かに儲かりますが、これではいかんと。それで会社員として自己矛盾を起こしてしまって、辞めるしかないと考えるように。転職するにしてもそれらの矛盾を解決できる会社はない。当時3人目の子どもが生まれたばかりだったのですが、子どもたちの寝顔を見て、この子たちが大人になったときの社会が荒んでいてはまずいと起業を決意。2000年7月、お客様の満足とIT業界の発展を目指し、自らウルシステムズを起業したのです。

東大生は殻を破りチャレンジしよう

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2005年10月「知の摩擦プロジェクト」第1回交流会:御殿下記念館

2006年2月21日、当社はおかげさまでJASDAQ市場に上場を果たしましたが、人材採用は本当に大変でした。ベンチャーはやはり人が最重要ですから。起業以来、お客様に価値を提供するために、業界の発展のために頑張ってきたのですが、当社を含めIT業界の就職先としての不人気を痛感しましたよ。今はIT技術を理解している方が起業しやすいのに、ですよ。

ある国立大学工学部の学生が、「給与がいいから金融業界への就職を考えています」と言っていました。技術者はワザで勝負するための勉強をしてきたのだろうに。先端の技術の面白さ、何ものにも替えがたい醍醐味がITにはあります。お客様に満足いただければ事業にもなるし、公開企業もつくれる。しかしその面白さをまだ学生の皆さんには伝え切れてない。

「知の摩擦プロジェクト」という現役東大生と社会人が接するイベントなどにも参加させていただいているのですが、エンジニアに憧れを抱いている学生は少ないですね。あと、起業を意識している学生も少ない。キャリアは人それぞれですが、東大生には全員起業にチャレンジしてほしいくらいに思っているんです。是非起業教育にも力を入れてほしい。企業研究に加えて、実業のノウハウを取り入れていってほしい。

私見ですが、保身的な若者が多い気がします。リスクは超えて行くものです。もっと自分に賭けてみればいい。若い経営者が率いるITベンチャーもいろいろ出てきました。技術とアイデアを持っていれば、世の中をつくっていけるんですよ。どんどん東大生は起業すべき。そのための協力ならば、いっさい惜しみませんよ。

自分の起業体験を包み隠さず、
提供していきたい

私ができる大学への支援は、東大生の皆さんに接する機会を多くつくって、自分のこれまでの起業体験を包み隠さず伝えていくことだと思っています。たくさんの失敗談ばかりですが(笑)。今振り返れば、学生の頃から心がけておくべきこともたくさんありました。私はやれてなかった。

例えば同期とか同窓のヒトのネットワークを構築しておけば、将来仕事で接することがあったとき、同じ大学時代を共有しているというだけでも話が早い。自分の得意分野を理解し、仲間に共感してもらい助けてもらうのが事業です。そもそもビジネスは一人では完結できませんから。私はヒトのネットワークをいっさい考えずゼロから起業したので、要らぬ苦労をたくさんしたと思います(笑)。ですから今の東大生には、学生時代から信頼関係のネットワークを構築しておくべきだと言いたいですね。昔の同級生と偶然再会して、その出会いが仕事につながったことも実際にありました。困ったときに頼れるのは、気心知れた仲間なんです。

ちなみに当社の採用基準ですが、学歴は全く関係ありません。年齢も不問です。ほかの会社もどんどんそうなってきていますが、社会ってそういうものです。要は本人のやる気と実力次第。東大生もこのことに気づかないといけない。何かに守られているとか、ブランド力があるとか、そんな誤解があるならば、早く捨てたほうがいいです。

これからの東大にお願いしたいのは、ものごとを究極まで突き詰めてほしいということ。だから、日本一だなんて絶対にいわないでください。目指すべきは当然世界なのですから。富士山とエベレストに登る人の装備は全く違うでしょう。エベレストを目指している若者が世界中にたくさんいる中、富士山に登って満足しても仕方ありません。東大には素晴らしい先生方がたくさんいらっしゃるので、今よりももっと尖がった世界に通じる部分をどんどんPRしてほしいです。世界中からヒトが集まってきてチャレンジしている、そんなワクワクする素敵な環境にしてください。

積極的な実業界とのコラボレーションももっと必要だと思います。ベンチャー企業との共同研究など、どんどん大学側から働きかけるべきです。企業側に大学が必要と認めさせれば、資金も流入してきます。そういった意味で、東大生がどんどん創業していくのはいいことですよ。欧米の優れた大学の周辺には、卒業生がつくった多くのとんがったベンチャー企業が集積していて、産学の連携が盛んに行われています。同じように、東大にもどんどん技術ベンチャー企業が集まるような仕組みをつくってほしいですね。例えば、業界ではITベンチャー企業同士の交流が活発に行われていますから、そういった場に大学が参加するのもいいと思います。

もちろん、私は東大という母校をとても誇りに思っています。その母校が今よりももっと素晴らしい学校になり、学生や卒業生たちの起業を支援できるのであれば、協力はいっさい惜しみません。次の世の中をつくっていくのは若い皆さんですから。どんな世界であれ、東大に関わる人たちにはどんどん活躍してほしいと思っています。(談)

取材・文:菊池 徳行
※寄付者の肩書きはインタビュー当時のものです。