第六回 : 大坪 修様、大坪 公子様

2007年11月19日 (月)

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大坪 修(おおつぼ・おさむ)

1938年(昭和13年)6月1日生

福岡県出身。福岡県立明善高校から、東京大学理科二類へ入学し、医学部へ。1964年(昭和39年)に卒業。1年間のインターンを経て、医師免許取得。1965年(昭和40年)、東大附属病院第二外科入局。1977年(昭和52年)、東大医科学研究所附属病院人工臓器移植科講師就任。1987年(昭和62年)、東大医科学研究所附属病院人工臓器移植科助教授就任後、虎の門病院外科腎センター部長に移籍。1993年(平成5年)、自ら定めた外科医としての55歳定年に従い、妻の公子氏が父から受け継いだ病院経営に参加。同年、医療法人社団大坪会理事長に就任し、現在に至る。

 

大坪 公子(おおつぼ・きみこ)

1940年(昭和15年)9月6日生

福島県出身。福島県立安積女子高校から、東京女子医科大学へ。1965年(昭和40年)に卒業。1年間のインターンを経て、医師免許取得。1966年(昭和41年)、東大附属病院第二内科入局。1970年(昭和45年)、三軒茶屋クリニックを開業(後に三軒茶屋病院と改称)。1978年(昭和53年)、医療法人社団全仁会理事長就任。2005年(平成17年)、社会福祉法人銀杏会理事長就任。

寄付者紹介

1970年1月、血液透析治療を主とした三軒茶屋クリニックを開設。夫人の公子氏は腎不全患者の臨床に徹し、夫である修氏は東大附属病院、東大医科学研究所、虎の門病院などで人工臓器、腎移植と最先端研究を続けた。夫婦二人三脚で医療活動に従事し続け、現在では関東を中心に総合病院から予防医学クリニック、介護施設、老人ホームなど43もの施設を展開している。そして昨年より、大坪ご夫妻から東大医学部の発展のためにとご寄付をいただいた。今回はそんな大坪ご夫妻に、学生時代の思い出や、東大への期待をうかがった。

お互いが学生組織のトップを務め、
それが縁で結婚。東大病院に入局

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修氏昔から理科と数学が好きでしてね。湯川秀樹さんがノーベル賞を受賞したことに感化されて、将来は科学者になりたいと思っていたんです。医師がいいなと思い始めたのは、小さな頃よく病気して病院にお世話になったから(笑)。東大は当初理学部を目指していたのですが、現役では不合格。1年間、福岡から東京に出て浪人生活を始めた時に、東大志望者たちの数学のレベルの高さに驚きました。それで方向転換し、医学部を目指すことに。そして翌年、理科二類に無事合格。その後、医学部に進学したのです。

公子氏私の実家は福島県で16代続いた医業を営んでいました。私で16代目になるのですが、医師を目指したのも家業の影響からでしょうね。そして、東京女子医科大学に進学しました。

修氏大学の頃は安保闘争、卒業2年後には学園紛争で安田講堂事件あるなど、学生運動が最も激しかった時代です。そんな中、クラスの仲間たちと主義主張をぶつけ合い、議論を続ける毎日でした。クラブ活動は結核研究会に所属し、先生と共に検診に出かけたり、学生と同窓会の組織である「鉄門倶楽部」の議長を務め、全国医学生ゼミナール、東日本医学生体育大会委員長、五月祭の副委員長として主催活動なども行ったり。今でもそうなのですが、私は何か頼まれるとなかなか断れない性格なのです(笑)。でも、とても充実した学生時代だったと思っています。

公子氏実は私も東京女子医科大学で学生委員長を務めていました。夫は一浪していますから、学年はひとつ違いだったのですが、その活動を通じて、夫と知り合いました。医局に進む前に結婚することを決め、夫は私より1年早く東大病院の第二外科へ、そして私は1年遅れて同じく東大病院の第二内科へ入局したのです。結婚式は挙げたものの、翌日から勤務でしたから、新婚旅行に行く暇などありませんでした(笑)。

29歳で妻は病院経営に乗り出し、
夫は腎移植の最先端研究を継続

公子氏私が医局に勤務していた頃、福島県の郡山市で開業医をしていた父が世田谷に転居し、三軒茶屋クリニックを開いたのです。でも、その後すぐに亡くなってしまって……。29歳で私はそのクリニックを引き継ぐことになりました。これがその後の人生を決定づけた転機だったのでしょう。第二内科では循環器科で腎不全の治療をしていたこともあり、透析を主としたクリニックを始めました。でも当時、透析や腎移植はとても難しく、健康保険も適用されない高額治療です。貧しい方には無料で治療をしたこともありました。そして当時は透析施設が少ないこともあって、北は北海道、南は鹿児島から患者さんが集まるようになったのです。

修氏私は大学病院で腎移植を行っていましたから、移植の可能性がある患者さんを私が受け持ち、逆に移植が受けられない患者さんは妻の病院で透析を受けてもらうと。そうやって二人三脚で腎不全の方々の治療を続けていました。その後、頻繁に病院に通わざるを得ない透析患者さんからのご要望を受け、妻は関東一円に分院を開設していきます。腎不全の患者さんを受け持つということは、一生のお付き合いとなり、その間、すべての病気に対応せざるを得ません。そのために総合病院を立ち上げる必要に迫られたのです。ちなみに、三軒茶屋クリニックを昭和48年に三軒茶屋病院に改称した時には、日本で最初の透析患者さんの出産に成功しました。

公子氏夫はずっと腎移植の最先端研究を続けていましたから、本当にいろいろなアドバイスをしてくれました。また、私たちには3人の子どもがいますが、夫の両親が経営や家庭をサポートしてくれたおかげで、私は患者さんの臨床に専念することができたのです。そういえば、まだ小さかった子どもを背中におんぶして治療したこともありましたね(笑)。病院の経営は正直とても苦しかったですが、ひとりでも多くの腎不全の患者さんを救って差し上げたかった。そして、透析治療に健康保険が適用されるようになってからやっと、経営は少しずつ上向いていきました。

修氏先程も申しましたが、腎不全の患者さんとは一生のお付き合いとなります。開業してからもう40年近くになりますが、私たちが透析や腎移植の治療をした患者さんで30年、40年とご存命の方が100人以上いらっしゃいます。今ではご本人だけではなく、その方の配偶者やお子さんなどのお世話もさせていただくようになり、人間ドックなどの予防最先端治療施設の運営も始めています。

仕事以外のライフワークのひとつ、
国内外のボランティア活動

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チェンマイの
大坪慧燈学園竣工式にて

修氏腎不全の患者さんたちのために私は一所懸命研究を続け、妻は治療と臨床に専念してきました。また私はライフワークのひとつとしてボランティア活動を続けています。30年以上前から故郷の福岡県八女市で「大坪奨学金」を創設し、過去総額2億円以上の寄付を行い、300名の奨学生に活用されています。ほか、国内外、特に東南アジアを中心とした国際医療協力も積極的に行っており、1977年に韓国の延世大学のセブランス病院に透析装置10台の透析センター設立。医師と看護士の留学も受け入れています。今では年間500人の腎移植をする世界一を誇る治療機関になりました。とても喜ばしいことですよね。

公子氏もちろん私もボランティア活動には大賛成なのですが、ちょっとやりすぎなのではと心配になることもあるんです(笑)。

修氏国際的なボランティア活動は海外旅行好きという極めて不純な理由もあるのですが、海外に出ると、病院のシステム、スタッフの質と量など、日本の治療現場の遅れを痛感し、いろいろと教えられます。例えばアメリカでは1000ベッドに対して、医師、看護士などのスタッフが1万人つくといわれています。日本はその5~10分の1程度なのではないでしょうか。いかに日本の医療従事者が低い評価のもとで働いているかということです。現状がこのままだと、ますます医療従事者を目指す人が減ってしまいます。そんな現状を把握して、私に貢献できることがあれば、また力になりたいとは思っています。

修氏ますます高度化する医療技術に対応して、よりハイレベルの教育を受けた人材の確保は急務。昨年8月、4年制の看護福祉大学の誘致を進めてきた埼玉県深谷市と、私が理事長を務める特定医療法人大坪会との間で、看護大学「東都医療大学」を設置する基本合意書が締結されました。開学は2009年4月。当面は看護学科の1学科でスタートしますが、将来的には各種医療技術者の養成学科設置も目指す予定です。

冒険心を持つ東大生を増やすこと。
世界一の大学になるための近道

修氏東大に寄付をさせていただいたのは、医学部生に海外留学などもっと見聞を広めるための機会を提供したいからです。そしてもうひとつ。私のボランティア活動を見て、真似してくれる人をもっともっと増やしていきたい。中国に、「落葉帰根」という言葉があります。落ちた葉は根に降り積もり、やがて土に還され大樹を育てるという意味です。自分が世の中からいただいたものは、やはり後世のために良き循環をさせていくべきだと。

公子氏私たち夫婦には3人の子どもがいて、孫も7人います。仕事以外に私は声楽や短歌を、夫も粘土細工や書道、熱帯魚飼育などささやかですが趣味を楽しんでいます。本当に私たちは幸せな人生を送っていると思っています。やはりこの幸せを享受させてもらっている以上、世の中にお返ししていかなければならないでしょう。ですから、私も後進の育成のために寄付活動をしていくのは大賛成です。ただ、国立大学は寄付をする人がまだまだ少ないと聞いています。私立のほうがそのへんは上手ですよね。

修氏小額でもいい、先生や全職員が少しずつ寄付をするとか。例えば、一人1万円寄付すれば、1億円くらいになるでしょう。もっといえば政治資金ではないですが、小宮山総長がパーティを開いてたくさんの人をお招きして寄付を募ってもいいじゃないですか(笑)。小額でもいい、後進のために寄付をしようという人を増やすことが大切だと思います。

公子氏私も夫も、東大のネットワークには本当に感謝しています。そして、東大のネットワークは素晴らしい。それを活かすかどうかは、ご本人次第だと思います。私どもの病院経営もたくさんの東大関係者のサポートがあってのものだと思っていますから。

修氏最後に一言。東大の学生に限らず、最近の学生は個性ある人が少ないなと心配しています。私たちの時代は、内科と外科を選ぶ学生は半々くらいでしたが、外科の希望者が激減しているようです。その理由がキツイ、食えない、リスキーだと。何だって本当にやりたいことにはリスクはつきものですよ。大学には、もっと冒険心を学生に植え付ける努力をしてほしい。私も妻も、東大が世界一の大学になることを願っています。

取材・文:菊池 徳行
※寄付者の肩書きはインタビュー当時のものです。