第十六回 : 東京大学女子卒業生同窓会 さつき会

2013年03月26日(火)

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菊地敦子 様(きくち・あつこ)

1975年(昭和50年3月)東京大学経済学部卒業
元人事院人材局長
さつき会 会員

永沢裕美子 様(ながさわ・ゆみこ)

1984年(昭和59年3月)東京大学教育学部教育行政学科卒業
「フォスター・フォーラム(良質な金融商品を育てる会)」 事務局長
さつき会 代表幹事

大里真理子 様(おおさと・まりこ)

1986年(昭和61年3月)東京大学文学部英語英米文学学科卒業
株式会社アークコミュニケーションズ 代表取締役社長
さつき会 奨学金委員会委員長

さつき会紹介

1961年に女子卒業生有志の呼びかけにより設立された任意加入の同窓会組織。東京大学に在学していた女性および女子在学生であれば誰でも入会可能で、会員数は約1300名。総会や講演会、会報の発行といった会員相互の親睦のための活動のほかに、非会員でも参加できるサロン(毎月)や在学生のための就職・進路ガイダンス等を企画・運営している。そんな「さつき会」が昨年(2012年)、女子学生の東大受験を促すとともに、次世代を担う女性をより多く輩出することを目的とした「さつき会奨学金基金」制度を立ち上げた。7月の寄付募集開始から1年足らずの短期間で2550万円が集まり、2013年4月から、初の本奨学生が誕生する見とおしだ。今回は、「さつき会」会員の菊地敦子氏、代表幹事の永沢裕美子氏、奨学金委員会委員長の大里真理子氏のお三方に、学生時代の思い出や東大への期待をうかがった。

学生時代の思い出を教えてください。

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菊地氏

菊地氏:公務員として働いていた父を見て育ちましたが、「公務員よりももっと楽しい仕事があるはず」と、ずっと思っていたんです(笑)。また、高校生の頃から私は、「自分の力で食べていきたい、生活していきたい」と考えるようになりました。自分が生きるべき道を探すため、東大に入学したのは昭和46年。当時、370人ほど在籍していた経済学部の同期のうち、女子学生はまだ10人程度しかいませんでした。

大学時代は、勉強はそこそこに、ワンダーフォーゲル部に入部し、仲間たちと青春を謳歌していました。年に5回ほど合宿に出かけるのですが、その間は一所懸命トレーニングに励みます。そして、リュックにシュラフや食料を詰め込んで、道なき道の山々の自然のなかで飯盒炊飯などして、体力の限界まで歩き、サバイバルな生活を経験するわけです。そういった意味では、「自分の力で食べていく、生活していく」ための力が多少、身についたのは事実ですね(笑)。

永沢氏:私は、菊地さんが卒業された、5年後に東大に入学しています。女子の合格者数が初めて200人を超えたと東大新聞の一面に大きく書かれていたのを覚えています。山口県の防府高校の出身です。上京してすぐに、井の頭線のことを、何のためらいもなく「いのあたません!」と言って失笑されたことは今でも忘れられませんね(笑)。山口県からの女子入学者は私一人でした。地方では、今でも、女の子は勉強ができても地元の医学部でよいという考え方が支配的です。私が東大に進学できたのは、ひとえに高校教員をしていた両親のおかげです。戦争で思うような勉強ができなかった両親が背中を押してくれたのです。

両親の期待に反して、大学時代は講義に出ないことがカッコいいと思っているような女子学生でした。運動会の弓術部に在部して、2年生からは東京都の学生弓道連盟の役員となり、ほぼ毎日九段下の武道館に詰めていました。役員といっても広告取りと試合の下働きです。日大の弓道部を頂点とした学連は苦労もありましたが、学ぶことも多かったですね。

大里氏:昭和57年に、大分県の県立佐伯鶴城高校から、東大の理Ⅱへ進学しています。私が高校生の頃は、「勉強ができる女子は東大へ」が普通な世の中になっていました。自分でいうのも何ですが、地元ではずっと成績が一番で、とにかく目立つ女の子。だから、たくさんの優秀な人がいて誰の目も気にならない、東京の生活はとても楽しかったですね。お二人と違って、運動会に入ることもなく、授業も熱心に出ず――当時の自分は何をやっていたのか明確に思い出せないくらい遊んでばかり(笑)。まさにモラトリアムな日々を満喫していたのだと思います。

「将来、どうなりたい?」と進学振り分けの際に聞かれ、私は「キャリアウーマンになりたいです」と答えました。すると、「日本企業はまだまだ男女間差別が多い。英語が得意なようだし、外資系企業がいいのでは?」と提案されたのです。私はそれを鵜呑みにして、文学部英語英米文学学科へ転部。ただ、ふたを開けたら、そこは英文学を学ぶ場であって、英会話を学ぶ場ではなかった……。学校の先生になって、英文学の知識を子どもたちに還元する道もある。そんなことを考えながらも、実はものすごく後悔していました(笑)。

卒業後はどのような道に進まれたのですか?

菊地氏:当時は、四大卒の女子学生をまともに採用している民間企業は希少です。また、寿退社が既定路線など、ずっと続けられる仕事になかなか出会えません……。そんななか、東大卒の女性の先輩が公務員として働かれており、お話をお聞きする機会があったのです。男女間の差がないポストで仕事ができること、結婚しても自分の仕事をずっと続けられること。公務員志望ではなかったものの、自分の思いが叶えられるのは、公務員の世界。そこで上級職試験を受け、人事院にお世話になることになりました。

私が長く籍を置いた人材局は、国家公務員の人事行政の中立公正を確保するため、採用試験、研修などの業務を独立機関として行う部署です。国家公務員全体にとっての人事部のようなイメージですね。各省庁の人たちと一緒に仕事をすることが多く、私自身、とても楽しく業務に当たることができました。

1995年、私は、国連が北京で開催した、「第4回世界女性会議」に参加しています。ここで、男女の機会均等と積極的差別是正措置の盛り込まれた行動綱領の宣言がなされました。この時から、男女共同参加の社会づくりへの貢献を真剣に考えるように。そして、「第4回世界女性会議」から6年後の2001年、私は人事院人材局企画課長として、「女性国家公務員の採用・登用の拡大等に関する指針」の策定に、2011年にはその改定に携わりました。仕事人生の大きな節目になったと思っています。「2020年までに、指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30%程度とする」という政府目標の後押しとなることを期待したいですね。

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永沢氏

永沢氏:私が就職する頃も、女性の就職は厳しかったですね。公務員はともかく民間企業は、四大卒はお断り、自宅通勤を条件とする企業が大半で、地方出身の東大女子は大変でした。「四大女子、地方出身、縁故なしの三重苦、私たちはヘレン・ケラー」といって自分をなぐさめていましたよ(笑)。当時は、民間企業では女子社員は制服を着て男性の補助職というのが一般的でした。私たちは男と同じように働かせてくれる企業を探して走り回りましたが、なかなか見つからない。心が折れそうになっている時に、偶然さつき会の就職ガイダンスに参加したのです。そこで先輩方からいただいたアドバイスや励ましの言葉は、今思い出しても温かい気持ちになるものばかり。奮起して就職活動を続けているうちに、同級の男子から「日興証券が女子の総合職の募集を始めるらしい」という情報をもらい、すぐざま人事部に電話をして、女子総合職の第一期生として就職することができました。ちなみに、400人の同期入社のうち、女性社員はわずか6人。「生き馬の目を抜く証券界に女子が入って大丈夫か」と親切な男子が心配してくれましたが、私が入社した年時を起点として証券界は証券化とグローバル化のなかで大きく変わっていき、仕事に恵まれました。女性の活用という点では他業界よりも一歩も二歩も進んでいました。

最初の配属は人事部でしたが、証券アナリスト業務や系列投資顧問会社での資産運用業務に従事した後、投資信託部で商品企画や制度調査を担当しました。何をしても「女性初」と言われて注目されたので、人の何倍も勉強しましたね。バブルの後に長い低迷が続き、証券スキャンダルも起きて、証券ビジネスの陰の部分を見ることできたことは、今思えば貴重な経験です。1997年にシティバンクに転職しました。個人投資部等の立ち上げを担当し、やりがいのある職場でしたが、相次ぐ合併でグローバルに政治的な闘争が繰り返されるなかで、次第に自分の限界を感じるように……。若い頃に海外留学をしなかったことが悔やまれましたね。仕事中心の生活で、子供としっかり対話してこなかった反省もあり、2001年に思い切って退職。大学院で投資信託制度の研究を始め、2004年、金融機関に勤務したり、金融トラブルの相談の現場に携わった経験のある女性の有志5人で「良質な金融商品を育てる会」、通称フォスター・フォーラムという市民グループを立ち上げました。

利用者の声を集めて意見書や提言書を作成して金融機関や業界団体、金融庁等に提出するという地道な活動を続けています。完全に手弁当の活動ですから、誰にもおもねる必要もありません。金融機関や行政からは「手強い団体」と恐れられているようですよ(笑)。活動を開始して8年が経ちましたが、事業者や行政に物申すだけでは市場は変わらないと思うようになりました。金融商品においても、利用者が賢い選択をできるようになることが必要なんですね。今は、金融に関する学びを支援するためのNPOの立ち上げを準備しています。

大里氏:教員試験を受けましたが、「きっと落ちた」と直感。それで、就職活動しなきゃと。たまたま授業で隣に座っていた知人が日本IBMから内定をもらっていて、「どうやったら面接してもらえるの?」と聞きました。そうしたら「社員の紹介があれば簡単だよ」と。それで、知人に頼んでツテを探してもらって、何とか面接にこぎつけ、私も内定を得ることができました。実は卒業ギリギリの3月のタイミングで、教員試験の合格通知が届いたのです。そこで知人に「やっぱり教員になりたい」と相談したら、烈火のごとく叱られました。「そんな常識外れが通用すると思っているのか!」って。それはそうですよね(笑)。

日本IBMでは、約4年半、システムズ・エンジニアとして働き、ケロッグ経営大学院へ自費留学。ベータ・ガンマ・シグマの成績(上位10%)でMBAを取得し、自分の今後のキャリアを考えた結果、ユニデンという一部上場企業への転職を決めました。中国での携帯電話販売事業を任され、1年目は売れに売れて大成功、2年目は中国経済の商慣習に翻弄されて大失敗。帰国後は降格となり、会社では針のむしろ。生まれて初めての挫折経験でしたね。その後、社内でIT関連の新規事業を立ち上げ、成果を出すことができたことで一区切り。1997年、信頼できる上司と一緒に、ベンチャービジネスを起業するため退職しました。

そのベンチャービジネスを軌道に乗せ、2005年に株式会社アークコミュニケーションズを設立。代表取締役社長に就任しました。Web制作、翻訳、通訳、人材派遣ビジネスの領域を重ね合わせながら、クライアントのグローバルなビジネスコミュニケーションをサポートするビジネスです。10人の方から1回ずつお仕事をいただくより、1人の方から10回お仕事をいただける、そんな会社を目指しています。 「楽しく、正しく、新しく」をモットーに、社員一人ひとりがプロフェッショナルとして自立し、みんなで会社の利益を分かち合っています。

さつき会の活動及び寄付への取り組みを教えてください。

菊地氏:世界の男女別在職状況を見ますと、先進諸国のなかでも日本の女性の経営層・管理者層に占める割合は極めて低いです。ここを何とか改善していかなければ、日本は世界から個人・個性を尊重しない国と思われてしまいます。優秀な女性がたくさんいるのに、活用しない日本の社会システムはもったいないですよ。私は昨年(2012年)の1月に、退職しましたが、引き続きできることをやっていきたいと思っていたところ、さつき会が奨学金制度を立ち上げる話を知ったのです。返済義務のない給付型というところもいいですね。この取り組みは、女性のためだけに留まらず、日本社会の男女共同参画を推進する役割を担っていると思います。そういった意味で、男女問わず幅広い支援をいただけるといいですね。

永沢氏:さつき会の就職ガイダンスに参加したのがきっかけで、大学時代に入会しています。卒業後は、先輩にお世話になった分を後輩にお返ししようという気持ちから、幹事をお引き受けし、就職ガイダンスなどのお手伝いを続けてきました。私が務める代表幹事は、30名ほどいらっしゃる幹事のお世話係で、用務員のような立場ですね(笑)。東大の女性は有能な方が多いと、幹事会の活動をしていて実感しています。代表幹事の私が少々ぼうっとしていても、ほかの幹事の方々が処理してくださり、物事がどんどん前に進んでいきます。さつき会奨学金誕生の萌芽は、“3.11”の後のこと。さつき会の運営余剰金を、被災地の女子学生3人に15万円ずつ寄付をしたのです。この頃(2011年9月)から、話が持ち上がり、立ち上げに向けて走り出しました。詳しい話は、奨学金委員会委員長の大里さんに譲ります。

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大里氏

大里氏:東京大学を受験する女子であって、経済的支援を必要とし、かつ自宅外から通学せざるを得ない者が条件です。提供される奨学金は、入学後年間 36 万円×4年間(6 年制の課程では 6 年間)となります。毎年若干名を募集するとして、まずは1年目の寄付目標を2500万円としました。もしも集まらなければ、我々が自腹を切る覚悟で(笑)。でも、その心配は杞憂に終わりました。さつき会会員の頑張り、東大基金の協力もあって、昨年(2012年)11月には目標額を達成。奨学生の募集もスタートしており、多くの応募があったと聞いています。ただ、この活動は継続してこそ意味があります。これからもぜひ、皆さまからのご支援をお願いしたいと思っています。

今後の東大、東大生に望むことを教えてください。

 

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赤門を背に

菊地氏:学生時代に勉強をしっかりするのは大切なことですが、それだけではなく、人とのかかわりを深めることも大事だと思います。臆病にならず、運動会でもサークルでも、どんどん人の輪に参加してほしいです。私はワンダーフォーゲル部に所属していましたが、卒業後も毎年、OB会やホームカミングデイに幅広い年代の仲間が集まり、縦横のつながりのありがたさを実感しています。そのほかにも、駒場時代のクラス会、ゼミの仲間など、学生時代のネットワークが幹となって、私の人生を豊かにしてくれているのです。何か物事を進めたい時のアドバイスやサポートをたくさんいただきましたし、どんな問題であっても、一人よりは複数で当たったほうが解決は早いですしね。東大卒業生の皆さんも力を合わせ、後輩たちにギフトのバトンを渡す一人になってほしいと思います。

永沢氏:学生の皆さんには、東大に学べたことを感謝し、後輩や東大そして社会にその思いを還元できる人になってほしいと思っています。東大に入学できたのは、皆さん一人ひとりの力によるものですが、東大で学ぶことによって与えられるものは、皆さんが想像している以上に大きいのです。それは卒業して外に出てみて初めてわかると思います。

私は、東大のよさは、多様な価値観の人が集まるところにあると思っていますが、そのためには、多様なバックグラウンドを持つ人材を集めることが肝心と思います。ところが、最近、東大が関東地方の大学になりつつという声も聞きます。地方から東大に進学するための経済的な負担が大きくなりすぎていることが原因と言われています。東大がすでに授業料の減免措置を講じていることは知っていますが、給付型の奨学金制度の拡充もぜひお願いしたいですね。卒業生も力を併せて優秀な学生を支援できるような仕組みがつくれたらいいですね。

大里氏:今の若い人たちは、インターネット世代でしょう。情報過多で、何でもすぐに知りすぎてしまうことで、逆に動けなくなっている気がします。目の前にあるせっかくの可能性を棒に振っているようで、そこがすごくもったいないですね。私は、大学時代、偶然隣の席に座っていた同級生から話を聞いて、日本IBMに入社したわけですが、本当に素晴らしい経験をさせてもらいました。人生で、唯一無二の正しい答えなどありません。私自身、キャリアを積むなかで予想外に現れるチャンスに対峙しながら、挑戦を続けています。実はスタートは何でもよくて、偶然性理論を信じて進んでいくのが、面白い人生の歩み方なのかなと思います。昔から、つるむな、群れるなと言われてきた私たちですが、各界で活躍されている東大OB、OGの皆さんには、縦のネットワークをもっと堅固にしてほしいです。東大卒業生は素晴らしい資産。ぜひ、東大生が今よりももっと社会に貢献できるよう、多くの機会をつくっていただけることを願っています。

取材・文:菊池 徳行
※寄付者の肩書きはインタビュー当時のものです。