第二十一回 : 笠原 健治様

2021年03月16日(火)

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笠原 健治(かさはら・けんじ)

大阪府出身。大阪府立北野高等学校から東京大学に進学。大学3年生となった1997年、求人情報サイト事業を開始する。1999年に法人化。2001年、東京大学経済学部を卒業。就職をせず、そのまま起業家としての道を歩む。2004年、ソーシャル・ネットワーキングサービス「mixi」を公開し、日本のSNS文化を開拓。2006年、株式会社ミクシィを東証マザーズに上場させる(現在は東証一部)。2013年、同社の取締役会長に。2015年、家族向け写真・動画共有アプリ「家族アルバム みてね」を公開。2020年、個人として10億円の資金を拠出し、すべての子どもとその家族が幸せに暮らせる世界を目指す「みてね基金」を立ち上げた。

寄付者紹介

東京大学に進学後、将来の自分像をイメージできず、もがいていた笠原健治氏に光明が差したのは大学3年生のとき。所属していた「新宅ゼミ」で、インターネットビジネスの可能性と起業家という生き方の醍醐味を知った。そこから20年以上の時間を経た現在も、笠原氏は起業家としての人生を歩み続けている。その間、日本発のソーシャル・ネットワーキング サービス「mixi」で多くのユーザーを獲得、東証マザーズに株式上場(現在は東証一部)、スマホアプリ「モンスターストライク」が大ヒット、家族向け写真・動画共有アプリ「家族アルバム みてね」を世界展開させるなど、起業家としていくつもの挑戦を繰り返してきた。そんな笠原氏から東京大学基金は、2007年に「知的資産経営」総括寄付講座、2020年に修学支援事業基金へのご寄付をいただいている。今回は笠原氏に、学生時代の思い出、起業家としての歩み、東大生への期待をお聞きした。

将来が見えず悶々としていた教養時代。
ゼミの授業でITビジネスに興味を抱く

大阪で生まれ育ち、高校は府立の北野高等学校へ進んでいます。小さな頃から歴史小説を読みふけっていた影響か、高校生になったころには官僚という職業に興味を持つようになっていました。世の中全体を見渡して、政治的な観点で世界を、日本という国をよりよくしていきたい。広く社会に貢献できるような人になりたいと考えるようになったのです。北野高校からは京都大学に進む人が多かったのですが、私は親元を離れて一人で暮らしてみたいという希望もあり、官僚を多く輩出している東京大学を受験することを決めました。

文理でいうと、理系科目のほうが得意で、自分自身、ずっと理系のクラスにいましたし、両親からも理系に進んだほうがよいと強く言われていたんですよ。でも、官僚になりたいということを両親に説明して理解を得、結果、経済学部への道がある文科二類を受験して進学したという流れです。今、私はIT業界に身を置いていますから、振り返って考えるとコンピュータサイエンス的な勉強をしておけばよかったなと思ったりもします。ただ、当時は現在のような世の中が到来するとは想像すらできませんでしたし、世界のこと、社会のことを俯瞰して把握するためには、経済学を学ぶのがいいだろうと考えていました。

東京での生活が始まり、駒場キャンパスに通っていた1、2年の頃は、高校時代から続けていた水泳も頑張ろうと考え、体育会の水泳部に所属していたのです。しかし、一所懸命練習しているにもかかわらず、なかなかタイムが伸びず、途中で退部してしまいました。また、将来の進路に関しても、官僚になりたいと思いながらも、もっと違う世界もあるのではないかと迷いが生じてしまい……。そういった感じで、自分が今やるべきこととか、一番向いているものとか、本気でやりたいことが見えなくなって、悶々としていました。将来の自分の姿がうまくイメージできず、もがいていたことを覚えています。

大学3年になって経済学部に進み、今も東京大学にいらっしゃる新宅純二郎先生の経営戦略のゼミナール(新宅ゼミ)に入りました。ここで、いろんな業界のケーススタディを教えていただく機会があったのですが、私が特に面白いと感じたのがIT業界です。マイクロソフト、アップル、デルなど、アメリカの若手起業家たちはスタートアップからどうやって事業を大きく成長させていったのか――IT業界のダイナミズムに影響を受け、これほどエキサイティングな世界があることを初めて知りました。すぐにそれまで持っていなかった自分用のパソコンを購入し、多くのIT関連の本を読み始め、起業という道を少しずつ意識するようになっていきました。
 

大学3年時に起業家人生がスタート。
その後、数々のITビジネスを立ち上げる

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ミクシィメンバーと2001年頃
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ミクシィメンバーと2003年頃

当時は、ちょうどインターネットが日本で広がり始めた時期でもありました。考えてみると、インターネット産業は、1980年代に本格スタートしたパソコン産業と同じような勃興期にあるのではないかと。そのタイミングであれば、学生の自分でもトライして成功するチャンスがありそうだということに気づきました。そこからいくつかのビジネスアイデアを検討しつつ、1997年に求人情報サイト「Find Job !」を立ち上げたのが、私の起業家としてのスタート地点です。

最初は一人、個人事業として始め、少しずつ仲間を増やし、結果的に事業を軌道に乗せることができました。そして、スタートから2年後の1999年に法人化し、大学を卒業したのが2001年ですから、普通の人よりも長く東京大学にお世話になっている計算です(笑)。

そうやって大学生を続けながら起業したわけですが、事業を自分事として継続していくうちに、自分の中で生じた疑問や問題意識を一つずつ解決するため、ゼミでの勉強や経済学部の経営に関連する授業など、さらに真剣に取り組むようになりましたね。また、よりよい社会をつくるために尽力する官僚もよいのですが、自ら事業をつくってそれを大きくしていくことで、もっとダイレクトに世の中に影響を与えていく、あるいは新たなサービスを提供して多くの人々に喜んでもらえる起業家という生き方が自分には合っているのではと考えるようになりました。学生起業家としての日々を過ごしながら、さまざまな迷いもありましたが、徐々に自分が進むべき道が定まっていった感じでしょうか。そして最初の起業から20年以上が過ぎた今も、私は起業家、経営者として挑戦し続ける毎日を送っています。

2004年に公開したSNS(ソーシャル・ネットワーキング サービス)「mixi(ミクシィ)」は、新たなコミュニケーションインフラの創出を想定して立ち上げたサービスです。スタート当時は、2000万人ものユーザーに使われるようになるとは思ってもいませんでした。ユーザーの利便性や楽しさの向上を徹底的に追求し、運営を続けていく中で、新しい可能性やチャンスの大きさに気づかされ、ユーザーとともにmixiもビジネスも成長していったという感じです。

2006年、株式会社ミクシィは東証マザーズへの上場を果たしました(現在は東証一部上場)。その後当社の大きなヒットとなったのが、2013年に公開したスマートフォン用のゲームアプリ「モンスターストライク(モンスト)」です。モンストは単なるゲームを超えて、友だちとスマホを持ち寄って、一緒に遊べるゲーム。コミュニケーションができるからこそ、さらに楽しく、盛り上がることができる。その当時、当社の現社長を務める木村(弘毅氏)が企画提案、プロデュースしてくれたサービスで、彼にはそこがはっきり見えていたというか、狙って始めて、実際に多くのユーザーに受け入れられたという感じですね。

モンストがスタートした年に、取締役会長になりました。会社としてより多くの新規事業をつくっていく大事なフェーズでもありましたし、自分自身が得意であり、大きなやりがいを感じる新規事業の創出に能力と時間を集中させていくべきだと。株式会社ミクシィはこれからもインターネットを介したコミュニケーションを主軸とした会社であり続けたいと思っています。できれば世界中の人たちに日常的に使ってもらえ、楽しくて役に立つようなサービスをたくさん提供していきたい。そして2015年に私が企画して公開したのが、家族向け写真・動画共有アプリ「家族アルバム みてね」です。
 

個人の資金10億円を拠出し、
家族の絆を深める基金を設立

「みてね」を発想したきっかけは、もともとは自分自身のニーズにありました。子どもが生まれて1週間もしないうちに、こんなにも写真や動画をたくさん撮るのか、ということに気づきまして。それらをきれいに整理保存し、家族と共有し、ゆくゆくは子どもにも見てもらいたい。さまざまな外部のサービスを使ってはみたのですが、これは!というものがない。ならば自社で開発するのもありでありではないかと。すぐに調査を始め、社内で共感してくれるメンバーとチームを組み、サービスを仕立て、公開することにしたのです。現在、「みてね」は世界150カ国以上でサービスを展開しており、ユーザー数が約800万人(2020年8月現在)となって、1000万人も見えてきました。

2020年に新型コロナウイルス感染症が発生し、海外でロックダウンが始まったタイミングで、特に欧米のアクティブユーザー数がいっきに増えました。これまで普通に会えていた家族が急に会えなくなってしまったため、「みてね」の利用頻度が高まったのでしょう。実際に会えないのはさみしい。リモートではありますが家族の顔が見え、コミュニケーションできる手段として「みてね」があってよかった、助かっている、そんなユーザーの声をたくさん聞くことができました。私たちのサービスを頼りにしていただいている方々のために、より使いやすいサービスになるよう改善を続けていかなければ――チームのメンバーとその思いを新たにしました。

手前みそではありますが、「みてね」は家族の絆を深めるための“価値あるサービス”として育ってくれていると思っています。しかし、「みてね」を一つの事業として運営しながら、その価値をさらに高めるために、事業だけではなかなか手が届かない領域があることも見えてきました。その可能性を模索していく中、地域に根ざした非営利の活動で、家族の絆づくりや子どもの健全な成長を手助けしているNPOなどの後方支援をしたいと考えるようになりました。その構想を実行に移すため、2020年4月、私個人の10億円の寄付を基に「みてね基金」を立ち上げ、NPOなどへの助成活動をスタートしています。

主には、難病、教育、貧困、出産、虐待の領域での課題解決に取り組む団体を支援することを決めました。第一期として、新型コロナウイルス感染症の影響で緊急支援が必要な子どもとその家族に向けた支援を行う日本国内の53団体に対して約3億円、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリアの14団体に対して約100万ドルの合計約4億円の資金提供を実施しています。できるだけ自分も面談に参加するようにしていますが、この活動を通して、子どもや家族を取り巻く課題の複雑さ、深刻さと同時に、その予防・解決に向けて真摯に取り組む団体が全世界に多くあることを知ることができました。現在、第二期の助成活動が始まっています。今回も多くの団体の方々からご応募いただき、審査、面談などを進めているところです。
 

学生が多様な機会に出合う場として、
東京大学をよりよい大学にしてほしい

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インタビュー時の笠原氏(2021年1月)

私自身が考える寄付という行為は、何か特別なことというよりは、困ったときはお互い様の精神で助け合うべきという感覚です。ただし、今回の新型コロナウイルス感染症もそうですが、東日本大震災のような日常が大きく変わってしまうような、そういうときには、より大きな規模での寄付が必要だと思っています。東日本大震災発生当時、株式会社ミクシィとしても、個人としても寄付活動に取り組みましたし、SNS「mixi」のユーザーの方々からもたくさんの義援金をご提供いただきました。そういった活動の意義や、素晴らしさを感じつつ、事業で世の中に貢献していくこと、社会的な活動で世の中に貢献していくこと、この両方ができる会社、人になっていきたい――そんな思いが強くなっていったタイミングでもありました。

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先生還暦パーティー

これまで東京大学にも何度か個人として寄付をさせてもらっています。自分としては、新宅先生のゼミや経済学部の授業などから、起業するきっかけをいただいたと思っていますし、大学時代に育まれた“種”みたいなものがあった気がしています。その種が自分の中で今も生きている、また、当時のさまざまな学びが、事業を経営していくうえでの柱になっているという感覚があります。もちろん社会人になってからも成長はできますが、学生時代はもっと大切な成長の期間、そして社会人になって以降はしっかり世の中に貢献していく期間であると考えています。だからこそ、学生時代に自分に合った種を見つけ、将来の可能性を考えることがすごく大事です。学生の方々にできるだけ多くのチャンスに出合い、それをしっかり育んでほしいと願い、寄付をさせていただきました。ほか、一起業家として、東京大学出身の創業者が東京大学出身の後輩起業家を支援する「東大創業者の会」にも協力、参加させてもらっています。

私が大学生時代に起業家という選択肢に出合えたように、東京大学は将来どうしていこうか迷っている学生たちに多様なチャンスを提供できる場であってほしい。私のような個人が寄付をすることで、チャンスに触れられる機会が増えればいいと思いますし、学生の方々には、そのチャンスをどん欲に、自らつかむための努力をしてほしい。新型コロナの発生によって人々の暮らし方、仕事の仕方などが大きく変わってきています。それを目の当たりにしている若い世代の皆さんが、この変化をしっかり消化し、未来に役立つ仕組みやサービスをつくっていかなければなりません。東京大学の卒業生がそういった難問に挑戦し、その重責を担うリーダーになってくれると嬉しいです。

私はこれからも起業家として、大好きなインターネットを使った事業を企画し、世の中に役立ててもらいたいと思っています。何か新しいことを思いついた瞬間はすごくワクワクしますし、つくっているときもすごく楽しい。うまくいくときも、失敗するときもありますが、少しずつ調整しながら事業が大きく成長する瞬間に快感を覚えます。夢としては、一つでも多く、世界中の人たちを幸せにするサービスを生み出すことです。もちろん、事業として行うわけですから、幸せを提供した対価として収益もしっかりと確保する。そして、事業活動だけでは届かないところに対して、そこから得た収益で寄付などの社会的活動を併せて行っていく。それを十分に実現できるような会社や人として、これからも成長していきたいと思っています。

取材・文:菊池 徳行(株式会社ハイキックス)
※寄付者の肩書きはインタビュー当時のものです。