2023年09月15日(金)
林 まりか(はやし・まりか)様
富山県出身。富山県立魚津高等学校から、東京大学工学部機械情報工学科に進学。卒業後は大学院に進み、情報理工学系研究科知能機械情報工学科(情報システム工学研究室)を経て、学際情報学府博士課程を修了。2009年、三菱電機株式会社に入社。3年間の勤務ののち退職し、11年に大学院時代の仲間と株式会社キビテクを設立、代表取締役CEOに就任。情報処理推進機構(IPA)未踏スーパークリエータ。
生まれは、富山県の下新川郡朝日町です。数学はちょっと苦手だったんですけど、物理が大好きな理系でした。大学進学を考え始めた頃、もう少し頑張れば東京大学に行けるかもと思い、受験勉強に励み、一浪を経て何とか理一に合格することができました。工学部に進もうと考えた理由は、私はちょっとあまのじゃくなところがありまして(笑)。なぜ女子がこんなに少ないんだろうと疑問に思ったのと、あとは、ものづくりという行為がわりと好きだったからです。大学では、ロボット工学を専攻していくことになるのですが、「ロボコン」(ロボットコンテストの略で、ロボットをチームもしくは個人で製作して、その性能を競う大会)に挑戦したことが大きかったと思います。
まず2年次の全学ゼミの授業で、おもちゃのブロックと、それを動かすプログラミングツールを使って、簡単なロボットをつくったんですね。これが想像以上に面白く、楽しかったんです。そして、学内に「RoboTech(ロボテック)」というロボコンサークルがあることを知り、3年次から入部しました。理系の学生は4年次に研究室配属などがあって課題で忙しくなるので、3年次の1年間しか活動しないサークルでした。今では、大規模なサークルになっていますが、当時はまだ実働10人くらいで、存続も危ぶまれるような小さな組織だったのです。
当時のロボコンの様子
私は会計係でしたが、本当にいろんなことをやりました。入部した時の部室は、当時の工学部2号館の中庭にある物置小屋。ここをある意味、不法占拠して「みんなでロボットつくっています」というオタクの集まりです(笑)。でも、工学部2号館の建て替え工事が始まって、その小屋が取り壊されてしまい。新たな活動拠点を設けるために、工学部の施設管理の方や工事現場監督の方などに暗中模索ながらご相談し、応援してくださる先生や同期に助けていただき、工学部に対して、活動の意義を説明する書類などを出しました。最終的には農学部棟との隙間にできた小さなプレハブ小屋を正式に使わせてもらえることになりました。ここが今でもRoboTechの活動拠点(ものづくり実験工房)となっています。
あとは、卒業生からの寄付募集を発案してスタートしました。OB・OGの方々の連絡先を辿って調べ、実際に会いに行く、メールでお願いする。「一口5000円から、お願いします!」と。そんな裏方業務を率先してやりながらも、しっかりロボコンに出場して、ベスト8に入ることができました。
一緒に活動していた彼らは同い年なのに、小学校のころから電子工作をしていたり、秋葉原のどこどこでこういう掘り出し物があって、という話をしていたりして「すごいな」と尊敬していました。私はそういった話はちんぷんかんぷんだったのですが、RoboTechで活動する中で、彼らにたいして運営の支援とか開発とかで私なりにできることがあるんだということが分かり、それがすごく楽しくて、ロボットのことをもっとやりたいと思うようになりました。
学部生の頃、知能ロボットを専門とされていた佐藤知正先生(現東大名誉教授)のゼミに所属していました。佐藤先生から言われた2つのお話が心に残っています。一つは、「研究者は、公的なお金もいただきながら、自分の好奇心に従って、ある意味、「遊ぶ」ばせていただく仕事だ」というお話。もちろん、無責任に遊ぶのではなく、社会からの期待を背負って、責任を持って、人類の好奇心を代表して活動する素晴らしい仕事だと得心しました。もう一つは、「研究の世界には、公募やそれ以外にも予算がつく仕組みがある。その機会を逃さないために、研究ビジョンをしっかり持ちつつ、常に実現までの予算計画を考えておくこと」。今、経営者となって仕事をするうえでも、大切な教えだったと感謝しています。
大学院に進んだのは、まだまだロボットの研究を続けたいと考えていたのと、親も「進学していいよ」と言ってくれたからです。そもそも私は、何か人と違ったことがしたかったので、「ロボット博士って、十分に変わっているよね」と(笑)。
もとからアカデミックの道に進むとは決めていなくて、でもヒューマンインターフェース研究に関わる仕事をしたいなと、三菱電機への就職を決めました。
入社後は、土日などプライベートの時間を使って、自由な研究や工作をしようと考えていました。当時、結婚をきっかけに引っ越したのが、居住用ではなく工場用の物件で(笑)。お風呂はないけど、ここなら工作機械とか実験器具を置いても大丈夫だし、音を出しても平気だという理由で契約しました。そこで仲間たちと電子工作をやっているうちに、電磁波を使ったセンシング技術が面白いと思うようになって。「IPA未踏ソフトウェア創造事業」※に仲間と共同で応募し、2010年度の未踏事業に採択されたのです。
大学や会社から提示された研究に縛られることなく、自分たちでつくりたいものをつくる自宅ガレージでの活動が、私にとってはとても面白く、刺激的でした。この仲間たちと一緒にものづくりを続けていきたいという思いと、社会的活動にも取り組みたいという志がどんどんふくらんでいきました。その直感を大切に、三菱電機を退職し、2011年に株式会社キビテクを起業しました。私がCEO(最高経営責任者)、CTO(最高技術責任者)は東大の先輩です。
※経済産業省が主導する画期的な個人を支援するソフトウェア開発支援・人材発掘プロジェクト
現在、キビテクでは、ロボット用の遠隔制御システムとオペレーションセンター機能を複合させた「HATS」というサービスを提供しています。ロボットで遠隔就労できるようにして、世界の雇用機会を均等化することを目指しています。このサービスは、5年前の出産を機にスタートしました。
それまでは、社会に関わるということは考えていなくて、自分とか自分の周りがやりたいことをやる、生きのびていかなければいけないと考えてやっていただけなんですよ。そういう考え方でいると、稼げればいいやとかお金が得られればいいやとなりがちなんですけど。社会に対して意義のあることを、お金じゃなくてどういうビジョンを掲げて、途中どういう結果になったとしてもやってよかったなと思えるというところに判断基準が変わっていったんですよね。
寄付の話でいうと、5年前出産するまでは、寄付ってどこにしようかっていうのが決められなくて、すごく「気持ち悪い」存在だったんですよね。自分の中で、何を大切にするのか、それとも大切にしないのかっていう方向性がなかったので。
事業では、特に格差や貧困、なかでも絶対的貧困と呼ばれる食べるものもない、とか、貧困の地域の方にコミットしたいと思っています。そう選んでからは判断基準が得られ、寄付も格差や貧困に関わりが深い団体にしたいと思っています。
私にとって寄付とは、外側から私に対して「あなたはこういうものを大切にしているんですよ」ともう一度認識させてもらえるものだと感じています。寄付って、いろんなプログラムや物事に対するものがあると思うんですけど、どれかを選んでいかなきゃいけない。どこに寄付しようかと考えていく過程の中で、自分の中でこれを大切にしようというものを考えるものだと思うんです。
私は東大基金を通じてRoboTechに寄付をしていますが、年に1回現役の学生から連絡が来ると、日常を過ごしていると忘れてしまいがちな「ロボットを通じて社会に意義のあることをしたい」という自分の想いに気付かせてもらえています。
RoboTechでは、1年ごとにメンバーが代替わりして、ロボコン優勝に向けて活動していきます。その間、ものづくりに関する技術習得だけではなく、仲間とチームを組んで勝利を目指すという、技術系サークルのなかでは、まれにみる得難い経験ができる場所です。また、同期だけではなく、上の代や、下の代との交流やつながりも生まれます。振り返ると、私の人生にとっても、自信を持って“ハイライト”と言える時間で、一生の体験をさせてもらいました。現役の皆さんは貴重な時間を過ごしているんだなというのを心の片隅に置いてもらえたらうれしいです。
東大は、2027年には150周年を迎えると聞きました。AIの急速な進化もあって、学びの在り方を変えていかざるを得ない状況にあると思っています。歴史や資産が多いほど、動きづらい、変わりづらいのは、企業も大学も同じだとは思いますが、やはり学問は常に先端を走っていくべきものですから、東大には勇気をもって変化と進化に向けた挑戦をしていってほしいです。あとは、つい最近知ったのですが、大学と企業の橋渡しをする組織や、スタートアップ企業を支援する組織が複数できていたりしますね。東大が、そういった社会から求められている能動性の高い仕組みをどんどん生み出していくのは、とてもよいことだと思い、応援しています。
取材・文:菊池 徳行(株式会社ハイキックス) 編集:東京大学基金事務局