赤坂 甲治教授

2010年11月02日(火)

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赤坂 甲治教授

三崎臨海実験所 所長 海洋基礎生物学研究推進センター センター長

研究テーマ
海洋基礎生物学(進化発生生物学、細胞生物学、再生生物学)
基礎研究から波及した研究
  • 骨髄細胞遺伝子治療ベクター
  • 血管内皮細胞・神経髄鞘細胞の培養を可能にするマトリクスの開発
  • Ars疾患・脳神経脱髄症の発症機構の解明
  • 生体防御体液凝固システム共通機構の解明

この教員に関連する東京大学基金プロジェクト:

プロフィール

1951年東京都生まれ。昭和56年東京大学大学院理学系研究科博士課程修了(理学博士)。昭和56年日本学術振興会奨励研究員、同年東京大学理学部 助手、平成元年~14年広島大学理学部助教授、この間平成2年から平成3年アメリカ合衆国カリフォルニア大学バークレー校分子細胞生物学部門共同研究員、平成14年広島大学大学院理学研究科教授、平成16年東京大学大学院理学系研究科教授。平成8年度日本動物学会賞、平成21年度日本動物学会論文賞、平成22年度日本臨床分子形態学会論文賞受賞。研究の目的に合わせてウニ、ハエ、カエル、培養細胞、ウミシダなどさまざまな動物を研究。基礎研究成果を医学、農学、工学関連研究者と連携することにより、バイオテクの開発も行ってきた。

多様な海洋生物は
重要な発見をもたらす宝庫

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海の生き物の研究は直接我々の生活を変えることができる。それはすべての生物は共通の祖先を持ち、共通のしくみで生命活動を営むからだ。そうであれば「しくみ」を解明するためには多様な海産生物の中から研究に都合のよい動物を使えば良い。ウニの遺伝子は全配列解明されたが、ヒトの遺伝子とほとんど同じだった。ウニの細胞分裂を調整するタンパク質の発見は癌治療へ、ヒトデの細胞性免疫の研究は白血球研究への貢献によりノーベル生理学・医学賞を受賞している。神経の伝達速度は神経軸索の太さに依存する。人間などの脊椎動物(背骨をもつ動物)では、神経軸索の周りには特別なしくみがあり、細いが速い。無脊椎動物は裸の神経軸索をもつため神経伝達速度は一般的に遅いが、イカは太くすることにより伝達速度を早くすることに成功している。そのためダイオウイカはマッコウクジラと格闘するほど激しく早く動くことができる。このイカの太い神経の性質を利用して、神経伝達の機構が解明され、この研究もノーベル生理学・医学賞に輝いた。学習・記憶メカニズムを軟体動物のアメフラシで研究した学者も同様だ。

海洋生物の研究はノーベル賞級の発見の宝庫であり、臨海実験所はその最前線に位置する。米国のウッズホール海洋生物学研究所は世界有数の海洋研究所で、下村脩先生を始めノーベル賞受賞者を多数輩出している。シーズンには世界中から大勢の研究者が訪れる。三崎臨海実験所にも研究者が集まって情報交換しながら高度で新しい研究を進める体制にしたい。「日本のウッズホール」を目指す。

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三崎臨海実験所を守った手紙-The last one to go 最後に去る者
第2次大戦末期、三崎臨海実験所は海岸の洞窟を利用した特殊潜航艇の基地として日本海軍に接収されていた。そのため、終戦後、進駐軍が臨海実験所の破壊を命じることは明確であった。戦争中も実験所での研究を続けていた団勝磨は実験所を退避する際に占領軍向けに“The last one to go”と署名した手紙を残した。そこには「ここは日本のウッズホールである。世界の海洋研究のために実験所を残して欲しい」との内容が英文で認められていた。進駐軍はこの手紙の趣旨を理解し、団の希望はかなった。現在、ウッズホール海洋生物学研究所にこの手紙は展示されている。

なぜ三崎に臨海実験所を設立したか?

1877年(明治10年)、東京大学理学部動物学教室が創立された。初代教授はエドワード・S・モース。彼の進言に基づき、1886年(明治19年)三崎に世界に先駆けて臨海実験所が建設された。(ウッズホール、プリマスは1888年開設。)箕作佳吉が初代所長。

お雇い外国人の標本採集場所は江の島のみやげ物屋
エドワード・S・モースら、お雇い外国人が江の島に遊びに来て、みやげ物屋に一流博物館並みの海洋生物コレクションがあると驚いた。その採集場所が三崎だった。

三崎臨海実験所周辺海岸の地形は変化に富む。さまざまな環境に適応する生物が棲息する。足元だけで百種類以上の生物が見つかる世界一豊かな生物相を持つ。採集可能な生物は500種類以上。魚類等を加えると1万種。夏季には暖流が亜熱帯の動物を運び、冬季には寒流が北方に生息する動物を運ぶ。暖流と寒流がぶつかり、人間の生活から発生する「栄養塩類」が関東平野から流れ込み、プランクトンが豊富に発生する。すぐ近くの深海に向かってプランクトンの死骸がマリンスノーとなって降り注ぐ。それが「生きている化石」である深海生物を養うのだ。

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中川翔子(ショコタン)の好きな『三崎の熊さん』
「中生代の生きている化石」である巻貝「オキナエビス」は大英博物館から高額の懸賞金が出た。採集の名人で「三崎の熊さん」と呼ばれた実験所職員の青木熊吉(1864~1940)が見事に採集し、家が建てられるほどの賞金を獲得した。海洋生物好きのタレント・中川翔子が最近、ウニの一種「スカシカシパン」の命名者と伝えられる青木熊吉を「ネーミングが秀逸」と絶賛、各所で紹介している。

基礎研究は役に立つ

2009年、三崎臨海実験所を中心として設立された海洋基礎生物学研究推進センター(Center for Marine Biology)は研究に特化した全学的機構。他学部・研究所と協力して研究を進めている。海洋基礎生物学研究推進センターは、多様な海洋生物を活用して生命の共通機構を解明、バイオ・医学・産業に波及するシーズを研究するのが使命だ。

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今年度から発足した海洋アライアンス・教育学研究科・理学系研究科の連携による海洋教育促進研究センターに参画し、海洋教育教材と教育プログラムの開発研究も展開する。

日本では基礎研究は役に立たないと思われている。それは基礎研究の波及効果をうまく社会に対して説明してこなかったためだ。これからの研究者は「基礎研究は役に立つ」ということを社会に対し効果的に判りやすく広報し、さらに基礎研究の波及効果として社会に有用な技術が生まれるまでをしっかりとフォローしなければならない。
例えば、ノーベル化学賞を受賞した下村脩先生はオワンクラゲから緑色蛍光タンパク質(GFP)を発見したが、違う研究者達によって複製技術と異種細胞への導入技術が発見されて初めてGFPは医学研究に不可欠なツールとして普及した。基礎研究を基礎研究だけで終わらせてはならない。

<三崎臨海実験所における重要な発見・発明と用いた動物>

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三崎臨海実験所は「お宝」の山

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世界最古の臨海実験所の一つである三崎臨海実験所には数々の歴史的遺産が眠っている。改修・保存・公開展示を通して社会に対し、臨海実験所のオリジナリティに溢れた実像をアピールしていきたい。特に「明治42年建設木造実験室」は、そのままの姿で残されている。この実験室を改修し、歴史・標本展示室にできればと考えている。「高松藩献上魚図」と真珠を組み合わせた博物館展示も考えたい。
現在、年に何回か小学生~高校生対象の自然観察会を実施している。ぜひともご家族でご来場の上、実際の採集活動を体験しながら科学の無限の可能性について思いを巡らせていただきたい。

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明治42年建設木造実験室
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明治42年建設木造実験室
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明治42年の備品番号がついた机、棚
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精子先体反応発見(団ジーン)に使われた顕微鏡
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第二次大戦前の団ジーン、勝磨夫妻
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臨海実験所開設時からの日誌及び採集記録(珍しい生物が採集された時の興奮まで記録されている)
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北条氏に滅ぼされた三浦一族の遺品
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明治時代からの標本(青木熊吉採集のラベルがついたものもあり)
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日本で最も古い本格的水族館建物

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明治時代に開発した当時の真珠(最初は半円だが後に真円に。)

日本初の養殖真珠
草創期からの博物学的に「珍しい生物」を探す学問に並行して実学の方向も出て来た。1890年、内国勧業博覧会で臨海実験所長・箕作佳吉教授が初対面の御木本幸吉にアコヤガイ養殖と人工真珠について助言。御木本氏の養殖真珠業での成功に繋がる。三崎臨海実験所でも真珠養殖研究が進められ、1893年(明治26年)、半円真珠採取に成功した。現在も(株)ミキモトとの協力関係は続いている。

オススメ コラム

「ダーウィンのジレンマを解く」
2008年、みすず書房、マーク・W・カーシュナー 、ジョン・C・ゲルハルト著、赤坂甲治監訳。
自然選択だけでは、「ランダムな遺伝子・表現型変異が、複雑で高度な器官の進化をもたらすには、時間が(生命誕生から現在に至るまでの時間では)決定的に足りないはず」というダーウィンのジレンマを、近年の発生生物学・分子細胞生物学の視点からとらえると、解決できるとする一般向けの書。

※肩書きはインタビュー当時のものです。