2025年06月05日(木)
久世 暁彦 (くぜ・あきひこ)様
1986年 理学部 地球物理学科(現地球惑星物理学科) 卒業
1988年 理学系研究科 地球惑星科学専攻 修了
同年NEC日本電気 に入社
2002年 JAXA (宇宙航空研究開発機構)へ転職 温室効果ガス観測 衛星「いぶき(GOSAT)」の開発、運用に携わる。
2025年 定年退職 分光技術で新たな地球観測に取り組むべく(株)GORadSを立上げ代表取締役を務める。
東大弓術部の活動を90年にわたって支えてきた歴史ある弓道場、育徳堂。その修繕のために「弓術部 育徳堂大改修支援基金」が設置されました。弓術部OBであり、本基金にご寄付いただいた久世さんに、東大の在学生であり、東大基金でファンドレイジングサポーターとして活動している私、ゆめが、寄付に込めた想いや弓術部での思い出についてインタビューしました。
― まずは久世様のこれまでのキャリアについて教えていただけますか?
1986年に東京大学の理学部、地球物理学科を卒業しました。今は「地球惑星物理学科」と名前が変わっていますね。その後、同じ学科で修士課程に進みました。
修了後はNECに入社しまして、人工衛星に搭載するセンサーの開発を担当しました。当時から単に宇宙から地球の画像を撮るのではなくて、地球の何かを“測る”衛星をつくりたいと思って、オゾンを測定するセンサーの開発などに携わっていました。
その後、大学時代の恩師がJAXAに移られたタイミングで、この機会に自分もと思って、私もJAXAに転職しました。それが2002年のことですね。以降、23年間にわたって、JAXAで人工衛星からの地球環境観測に関わる仕事を続けてきました。
― JAXAでは具体的にどのようなプロジェクトに携わられたのでしょうか?
温室効果気体であるCO₂とメタンを専用に観測する世界初の衛星「いぶき(GOSAT)」の開発、運用です。
1997年の京都議定書をきっかけに、当時問題視されていたオゾン層の破壊だけでなく、これからはCO₂やメタンといった温室効果ガスも測る必要があるという方向に、国際的にも、そして日本の宇宙開発の現場でも意識が変わっていきました。
ただ、CO₂の変化って非常に小さいんですよ。産業革命以降、200年かかって大気中の濃度が280ppmから400ppmになった。それを1年あたりにすると0.5%程度の変化しかない。だから「そんな微小な変化を宇宙から測れるわけがない」と長らく言われていました。
でも、社会的な危機意識の高まりもあって、CO₂観測のためのセンサー開発に取り組み始めました。そして、2009年に「いぶき(GOSAT)」打ち上げました。
― 「いぶき」の開発には、どのような思いがあったのでしょうか?
私がNECの新入社員だった1988年に初めて関わったのが、「ADEOS(みどり)」という衛星で、1996年に打ち上げられました。その次に関わった「ADEOS-II(みどりII)」もそうなんですが、どちらも運用期間がわずか9ヶ月で終わってしまったんですね。
「こんな短期間では、地球の変化なんて何も観測できない」ということで、「長生きする衛星をつくろう」という思いがありました。
結果として「いぶき」は2009年に打ち上げられ、2025年の現在でも16年以上観測を続けています。私たちとしては、5年もてば上出来と思っていたので、これだけ長く活躍してくれているのは本当に嬉しいですね。
― 久世様はNEC時代から含めて、ずっと衛星に関わる仕事をされているのですね。
そうですね。私の場合、1992年くらいからずっと、同じようなテーマ――つまり「地球の空気の成分を人工衛星で観測する」ということに向き合ってきました。
世の中には、いろんな分野を渡り歩いて活躍する方も多いですが、私はある意味で「一つのことに長く関わり続けた社会人人生」だったと思います。
― キャリアの中で大切にされていたことはありますか?
とにかく「観測すること」にはこだわってきました。
地球温暖化の前にはオゾンホール問題が注目されていましたが、これがわかったのも観測があったからです。NASAが地球全体を人工衛星で観測して、春先だけ南極のオゾンが極端に減ることを突き止めました。
地球の変化って、理屈やシミュレーションだけじゃ分からないんですよ。シミュレーションは、結局“分かっていること”を材料に組み立てているので、未知の変化には気づけない。観測して初めて見える現実があるんです。
私はまず観測機器をつくるところから始めなきゃと思って、NECに入りました。衛星に乗せるセンサーを自分で開発しなければ、何も始まらないと思ったんです。
そしてJAXAではCO2を測定するいぶきの開発に携わりました。
でも私のキャリアが終盤に差しかかる今日でも、CO₂の問題はまだ解決に至っていない。力不足だったかなという少し残念な思いもありますね。
― 久世様は学生時代、東大の弓術部に所属されていたとうかがいました。なぜ弓道を選ばれたのですか?
これ、全然かっこいい話ではなくて、私はまったく運動が得意じゃなかったんです。小学校のときからずっとビリで、スポーツマンタイプではなかった。でも大学に入ったとき、「せっかくなら何か運動系のことをやりたい」と思ったんですね。
ただ、野球やサッカーみたいなメジャーなスポーツって、たいていみんな中高で経験していて、初心者が入る余地がないじゃないですか。また自分だけが下手で辛い思いをするのは嫌だなと思って、そうじゃない選択肢を探していたんです。
その点、弓道は大学から始める人も多く、これなら自分でもやっていけるかもしれないと思いました。あと、これは結果的には間違いだったけど、運動神経なくてもできるんじゃないかと思ったんですよ(笑)駒場と本郷、どちらのキャンパスにも道場があって活動しやすかったのも理由の一つです。
― 弓道の魅力はどのようなところにありましたか?
やってみて思ったのは、弓道って本当にシンプルなスポーツということです。引いて、放つ、それで、当たるか否かの世界で、どんなにうまい人でも外すことはある。
最初は運動神経がいい人がグッと伸びたりするけど、最終的には練習量の差が的中率に如実に表れる。3割しか当たらない人と5割、8割当てる人では、やっぱり練習の量がまったく違うんです。
一見シンプルに見えても、実はチェックしなければいけない点が100項目くらいあるとも言われていて、それをひとつずつ改善していくんですね。
「地道な練習の積み重ねがものを言う」というのを知れたのは良かったと思います。
― そうなんですね。久世様はどれくらい練習されていたのですか?
はい。最初の1〜2年はそんなに熱心に練習していたわけではないんですが、3年生、4年生になる頃からはだんだん本気になってきまして、4年生の時は、365日のうち360日、道場で弓を引いていました。これは自分でも驚くくらいの練習量でしたね。
そうすると、やっぱり当たるようになってくるんです。最初は自分には運動神経がないから無理だと思っていたけど、ひたすらやれば、誰でもある程度までは行けるんだなと実感しました。
― 365日のうち360日、それはすごい練習量ですね!!
弓術部での経験は、後の研究やお仕事にも影響しましたか?
ええ、通じるものがあったと思います。
人工衛星って、よく「軌道に乗せる」と言いますけど、実際には軌道に乗せて終わりじゃない。打ち上げ後は毎日毎日、衛星の状態をチェックし続けなければならない。
私はこれまで5800日以上、毎日パソコンを開いて衛星データを見続けてきました。これはもう、ある種の習慣、積み重ねの世界です。
弓道でも毎日稽古を重ねて、少しずつ自分のフォームや射法を修正していく。
やっていることは違っても、一歩一歩の積み上げの大切さを学べたのは、確実にその後の仕事にも活きていると思います。
― 久世様は弓術部での活動を通して、育徳堂で多くの時間を過ごされたと思いますが、育徳堂そのものの価値について、どのように感じていらっしゃいますか?
育徳堂は日本の道場の中でもトップレベルに美しいものだと思います。しっかりした造りで重厚な雰囲気がありますからね。最近趣味で通っている区民道場で、年配の弓道経験者の方と弓を引いていますが、その中にはいわゆる弓道強豪校出身の方もいらっしゃいます。その方達も東大の道場はすごかったなあーっておっしゃるんです。東大弓術部のことは何も言及されないのですが(笑)それくらい記憶に残る道場だと思います。
― たしかに、私も今回のインタビューを機に初めて育徳堂を見ましたが、格式高い雰囲気で、気持ちが引き締まる気がしました!
― 今回「弓術部 育徳堂大改修支援基金」にご寄付いただきましたが、ご寄付をされた背景には、どのようなお気持ちがあったのでしょうか?
正直言って、今の世の中ってなかなか厳しいじゃないですか。何をやるにもまずは入札をかけて、一番安いところに発注するというのが基本になっていて。もちろんそれはそれで大事な考え方ですが、育徳堂のような場所を維持していくとなると、最低限のスペックで修理すればいいってものでもないと思うんです。
育徳堂に瓦の屋根がありますよね。あれ、実はすごく維持費がかかります。でも、あそこを「雨漏りするからいっそ瓦屋根をやめよう」なんていうのは、やっぱり違うと思うんですよ。
― 瓦屋根は、育徳堂の象徴でもありますよね。
そうです。もちろん、瓦屋根の修繕を含めて、全部を国のお金で賄うというのは現実的に難しいと思います。だから、OBが少しでも力を出すべきところじゃないかなと感じたんです。
寄付の良いところって、“ちゃんとしたものをつくる”ためにお金を使えることだと思っています。税金でつくるとなると、どうしてもこれは贅沢なんじゃないかとか言われてしまって、最低限の仕様しか許されないこともありますよね。でも寄付だったら、しっかりしたものにしてくださいってお願いできる。もちろん最終的に予算が足りなければ、グレードを落とさざるを得ないかもしれませんけど、できる限り良い形で残したいという思いがあります。
それから、ちょっと格好つけて言わせてもらうと……私たちの世代って、地球温暖化に関しては、出してばかりの世代だったと思うんです。
私はずっと人工衛星でCO₂の観測に関わってきましたが、京都議定書が採択されたときはこれで10年後には排出量も減っていくだろうという期待があった。でも、実際には全然減らなかったし、ここ数年はむしろ加速しているくらいで、非常に残念な状況です。
もちろん、私だけでどうこうできる話ではありませんし、世界中に頑張っている仲間もいます。その中で、ある尊敬するアメリカ人の研究者が言っていたんです。
その人、もう70歳なんですが、「2050年までに温暖化問題を解決したいから、95歳まで週84時間働く」とまで言っていて……さすがに私はそこまでできない。でも、その言葉を聞いて、私は「これからは若い世代に託す時代だ」と思ったんです。
だから、私は「若い世代が安心して使える場を残したい」と思って寄付しました。特に育徳堂のような建物は、普通の校舎とは違って、長く使い続けてこそ価値が出るものです。いま適切に手を入れておけば、次の世代にしっかり渡せる。それが私たちの責任でもあると思います。
― 弓術部の後輩たちへ、何かメッセージはありますか?
今の部員の皆さん、本当にしっかりやっていますよね。授業にも出ながら、練習にも打ち込んでいて、私たちの頃よりずっと立派です(笑)。当時は授業も正直そこまで面白くなかったから、道場に入り浸っていたようなところがありましたが、今の皆さんは文武両道で、本当に尊敬します。
最近は、海外の方が東大構内を歩いている姿もよく見かけますよね。その中で、弓道着を着た学生たちが静かに稽古している姿が見えたりすると、「ああ、東大っていいな」って思ってもらえると思います。弓術部や育徳堂という場所が、東大の文化や精神を象徴する存在であり続けられるよう、頑張ってほしいです。
― 今回の修繕プロジェクトについて、これまで寄付をされたOBの方々に加えて、「寄付してみようかな」と興味を持っている方もいらっしゃると思います。そういった方々に向けて、メッセージはありますか?
そうですね。寄付って、単にお金を出すということではなくて、「自分たちの思い出の場所や価値をどう次につなげるか」という行為でもあると思います。
育徳堂のある場所って、実は東大構内でも一番人通りの多い場所のひとつなんですよ。昔は合格発表の掲示板が立っていた場所でもあって、シンボリックな場所です。でも、今のあの道場を見ても、「これは弓道場です」っていうような説明も出ていない。本当はもっと見せ方や演出の工夫ができるはずなんです。
たとえば、道場の壁の上には、歴代の名人が使っていた立派な弓や矢が飾ってあります。現役の頃は正直そこまでありがたみが分からなかったけど、今見ると、これは大学としても誇るべき文化財だと感じます。そういうものを、例えば小さな展示室のような形で一般の人にも見せられたら、きっと誇りにもなるし、弓術部の歴史ももっと伝わるはずです。
でも、こういうことを大学の予算だけで実現するのはなかなか難しい。だからこそ、寄付のような、自由度のある資金で支えることができれば、こうした“見えづらい価値”を次世代にきちんと手渡せると思うんです。
育徳堂はただの古い道場ではなくて、日本の大学の中でも数少ない、“道場として誇れる場所”です。だからこそ、この場所を残すことに自分たちOBが関わる意味があると思っています。
弓術部OBとして、育徳堂という歴史ある道場をできる限りいい状態で残したい、とい想いを持って寄付していただいたのだなと思いました。
私は今回のインタビューを機に、初めて育徳堂を訪れましたが、確かに重厚感のある素敵な道場で、そこで練習に励む部員の皆様の姿も印象的でした。
本基金による改修によって、育徳堂や弓術部の活動がより良いものとなることを願っています。