「東大こそ世界に開かれていてほしい」
―ベンチャーキャピタリストが母校に託す、
知と資本の“循環”<第31回>

2026年09月01日(火)

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澤山 陽平 様

Coral Capital創業パートナー。2009年 東京大学大学院工学系研究科原子力国際専攻を修了。修士(工学)。J.P.モルガン投資銀行部門、野村證券の未上場企業調査部門で金融・投資分野の経験を積む。2015年スタートアップへの投資や成長支援を行うベンチャーキャピタル500 Startups Japanを共同創業し、2019年Coral Capitalを設立。SmartHRや京都フュージョニアリングなど140社以上への投資を手がけ、運用資産は約600億円にのぼる。現在も自らプログラミングを行い、ハッカソンで優勝した経験も持つ。

大学院で原子力を研究した澤山陽平さんは、なぜ金融の世界へ進み、日本のスタートアップを支える現在地にたどり着いたのか。そして今、母校に何を託そうとされているのか。お話を伺いました。

――澤山さんは2019年にCoral Capitalという会社を設立されました。どのようなお仕事をされているのか教えてください。

まだ上場していない、創業間もない会社に投資をして、その成長を手助けする仕事です。共同創業者のジェームズ・ライニーと二人で始めた会社です。

私たちの特徴は、投資先を絞らないことです。「SaaSから核融合まで」と話しているのですが、1号ファンドで一番有名なのは人事労務SaaSのSmartHR、2号ファンドで一番大きくなっているのは核融合の京都フュージョニアリング。AI開発ツール、細胞医薬、脱プラ素材、宇宙ロボット。ある1週間で聞く話が、これくらい散らばっています。

絞ったほうがやりやすいのは間違いありません。ただ、次にどこで新しい革新が起きるかは、正直わからない。だから決め打ちせず、あらゆる起業家に会う。本当に優秀な人が面白いチャレンジをするなら、そこに投資する、というスタンスです。

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Coral Capitalのメンバー

生物学からシミュレーションの道へ

――東京大学の大学院では原子力を専門にしていたと伺いました。そこに至るまでの経緯を教えていただけますか。

子どもの頃の夢は、ずっと「科学者になる」でした。体が弱く、頻繁に熱を出す子どもだったので、自分の体の仕組みが知りたくて、図書館では人体の図鑑ばかり眺めていましたね。

進路を東大に決めたのは高校の頃です。生物が好きだったので理科二類へ。ただ、決め手は少し違うところにありました。東大が一番、国際的に開かれているんじゃないかと思ったんです。医学や再生医療だけなら、他にもいいところがあるかもしれない。でも東大は日本の中でも特殊な位置にあって、世界にも開かれている。留学もしたい、と考えていましたから。
ところが入学してすぐ、知人の紹介で生物系の研究室を訪ねると、先輩たちがずいぶん疲弊しているように感じました。生き物を扱う以上は避けられない苦労で、大事な仕事ではあるのですが、そこに引っかかりを覚えたんです。

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一方で私には、もう一つ手札がありました。プログラミングです。高校1年か2年の頃、古本屋で本を買って独学を始めました。ちょうどインターネットが盛り上がってくる時期で、夢中になりましたね。
それで、純粋な生物学ではなく、コンピュータシミュレーションの側から生命に迫れないかと考えたんです。決め手になったのは、目が光を感じる仕組みを分子の動きから再現した、という研究を知ったこと。私たちが当たり前にやっていることが、計算機の中で再現できる。そんな時代になったのか、と衝撃を受けました。

進振り(※1)では工学部システム創成学科シミュレーションコースへ、大学院は原子力国際専攻へ進みました。原子力は危険で実験が簡単にできないぶん、シミュレーションの応用が最も進んでいた分野なんです。理論を突き詰めるより、それが現実の世界でどう使われているかを見たかった。ガラスバッジ(※2)をつけて東海村に行ったこともありますが、研究の中心はやはり計算でした。

※1 進振り:東京大学で使われる「進学選択」の通称。入学後に教養課程で学んだ後、成績や希望に応じて専門の学部・学科を決める制度。
※2 ガラスバッジ:放射線を扱う場所で身につける、被ばく線量を測るための小さな線量計。

――勉強や研究以外で、大学生活の思い出といえば何が浮かびますか。

一つは東大ピアノの会です。幼稚園の頃から習っていて、初めは嫌々ながらだったのですが、中学で上手い同級生に会って、「何くそ」と発奮してからは熱心になりました。受験期も昼休みに音楽室で弾いていましたね。頭を使い切ったあとにピアノに触れると、脳の別の場所を使うみたいで、いい息抜きになるんです。
サークルには200人ほどいて、マニアックな曲を弾く人が集まっていました。キャンパスプラザにピアノが2台あって、みんな家にないものだから触れるだけで嬉しくて、互いに違う曲を同時に弾いている。不思議と、慣れれば自分の音しか聞こえなくなるんです(笑)。卒業演奏会で弾いたのは、ショパンの「幻想ポロネーズ」でした。

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ストリートピアノにトライ(in ザルツブルグ)

もう一つはアルバイトです。早く自分の力で稼ぎたくて仕方がなかったので、3月10日に合格発表があって、20日頃にはもう働いていました。新宿の駅ビルにあったレストランで、結局そこで7年間。閉店後は終電まで、みんなで下のキオスクでビールを買ってきて飲む。そんな仲間たちにも恵まれて。最初はキッチンで、2~3年してからホールにも立って、調理師免許も取りました。
意外だったのは、キッチンとホールで、見えている世界がまるで違うことでした。キッチンはホールに「早く運べ」と思い、ホールはキッチンに「早く作れ」と思っている。同じ店にいるのに、視点が分断されている。あの感覚は、後々まで残りました。

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アルバイトの仲間と

ボストンへの留学で、心から理解したこと

――原子力の道から金融を仕事に選ばれたのは意外に感じるのですが、転機などがあったのでしょうか。

大学院2年の夏、3か月ほどボストンに留学させてもらいました。ハーバードとMITの共同研究機関の医工連携プログラムで、マサチューセッツ総合病院の研究施設にいたんです。
転機になったのは、研究の中身ではなく、そこにいた人たちでした。国籍も年齢もばらばらで、金融の世界で働いたあと、やはり医者になりたいと30歳くらいで大学に入り直した、という方もいた。

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2008年留学時代(ハーバード大学の学生と)


私は中学受験をして中高一貫の進学校に通い、いい大学に入って、その先はいい会社に——そんなレールがあるような錯覚にとらわれていました。絶対の正解などない。頭ではわかっていたんです。でもあのとき、心で理解した。人生って好き勝手やっていいんだな、と。自分の中のレールが、完全に取っ払われました。

だから就職先も、当時の自分にとって一番わけがわからないところを選びました。何千億円のM&Aをやっているらしい、というくらいしか知らなかったJ.P.モルガンの投資銀行部門です。周囲に相談すると、誰もが片方の視点しか持っていないのも決め手になりました。技術の側は「投資銀行なんて忙しいだけだ」と言い、投資銀行の側は「技術なんてやってどうする」と言う。まるで噛み合わない。あのキッチンとホールと同じだな、と。だったら、越えてみたほうが面白いんじゃないかと思ったんです。

次に移った野村證券は、金融とITの両方がわかる人を探していました。私はJ.P.モルガンに3年勤めて、高校からプログラミングどっぷりの人間なので、まさに自分だと。そうして飛び込んだ未上場企業の調査部門で、スタートアップの世界に出会います。
大企業の役員が相手だった仕事から一転して、20代の起業家も対象になる。みんな熱意と勢いに溢れていて、新しいことをいかに実現しようかと考えている。とにかく面白くて、そこは今も変わりません。

――2015年には500 Startups Japanを共同創業し、現在のCoral Capitalに至るわけですね。印象深い仕事はありますか。

良い会社に投資できたことはもちろんですが、別の誇らしさがあるのは、シリコンバレースタイルのシード投資の契約書のひな形をつくって無償公開したことです。J-KISSといいます。
投資契約は、起業家にとってたいてい初めて見るものです。だから投資家がつくった書面をそのまま受け取ることになり、どうしても投資家寄りになる。当時の日本では、創業者個人に責任を負わせる契約も一般的でした。でもスタートアップなんて、ほとんど失敗するんですから、そんなことをしてはいけないでしょう、と。

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500 Startups Japanのグローバルな同僚


公開したのは2016年4月、ちょうど今年で10年になります。「J-KISSでお願いします」と起業家の側から言えるようになり、今ではシード投資の標準です。経済産業省のガイドラインにも反映され、エンジェル税制の対象にもなりました。

私たちが大事にしているのは「Do well by doing good」という言葉です。良いことをしつつ、ちゃんと儲ける。悪いことをして儲けるのはかっこ悪いけれど、良いことをして儲からないのも続かない。ベンチャーキャピタルは10年のスパンで考える珍しい仕事ですから、長い目で見れば、誠実さがむしろ報われるのではないかと思っています。

「赤門のレゴ」から寄付が始まった

――東京大学に寄付をしてくださるようになったのは、なぜなのでしょうか。

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オリジナル赤門レゴブロックキット

きっかけは、赤門です。
学生時代は、赤門の下を当たり前のように通っていました。それが今は閉ざされていて、一度も通らないまま卒業していく学生がいるとSNSで知って、驚きました。赤門は東大の象徴のようなものじゃないですか。それを開こうという「ひらけ!赤門プロジェクト」があると聞いて、これは支援しなければ、と。

最初は少額のつもりでした。ところが記念品に赤門のレゴがあると知りまして(笑)。子どもの頃、レゴが好きだったんです。それで金額を増やしました。今も組み立てて家に飾ってあります。

――それから「UTokyo NEXT150」にも寄付をしていただきました。その背景も聞かせてください。

昨年、2016年に投資したSmartHRの持ち分の約半分を売却しました。出資者には元本の6倍ほどをお返しでき、私個人にも初めてまとまったリターンが入ってきた。それで、もう一度、寄付を考えてみようと思ったんです。
やるなら、自分と縁のあるもの、関心のあるものがいい。そう考えたとき、母校の東京大学は自然と選択肢に上がりました。

もう一つ、大きな理由があります。私たちが運用する約600億円は、年金や保険会社といった機関投資家からお預かりした資金です。ではアメリカはどうかというと、まず桁が二つほど違う。そして特徴的なのは、その出し手として大学のエンダウメントが大きな存在感を持っていることなんです。

MITの大学基金(エンダウメント)の運用担当者とは何度も話しましたが、ものすごく投資に詳しくて、これまで会った中で一番厳しい問いを投げてくる。唸らされるような、まさにグッドクエスチョンなんです。
そこには循環があります。大学の基金がベンチャーキャピタルに投資し、私たちはその大学から生まれた研究や、そこから起業した人たちに投資する。それが大きく成功すれば、果実はまた大学に戻っていく。

翻って日本を見ると、大学の基金は増えていますが、規模にまだ乖離がある。もっと大きくしてほしいし、日本でもアメリカと同じような流れが生まれてほしい。私の寄付は全体から見れば本当に少額ですけれど、この仕事で大きなリターンが入ったからには、少しでも大学にお返しする。それが循環の力になればと「UTokyo NEXT150」に寄付しました。

※エンダウメント:寄付金を基金として運用し、その運用益を研究・教育・学生支援などに長期的・継続的に活用する仕組み。

――ありがとうございます。これからの東京大学に期待することを聞かせてください。

大学を決めたときの気持ちに戻るようですが、東大こそ世界に開かれていてほしい。

これは仕事の中でも感じています。今、アメリカはAIの世界を主導していますが、それがソフトウェアだけでなく現実の世界に入ってきたとき、製造業が空洞化したアメリカは日本を必要とする。両者が組み合わされば、素晴らしいものができる。この機を逃すわけにはいきません。

ただ、日本の強みを築いてきたのは今の60代、70代の方々です。あと5年、10年で、優れた技術を持つ人たちが続々と引退していく。時間はだいぶ限られている。これは民間だけでなく、大学も全力でやらないと。日本が観光でしか食えない国になってしまいます。
その意味で、新設される「UTokyo College of Design」のような国際的な動きには期待しています。私が学んだ原子力国際専攻も、技術を持つ国が限られる分野ですから、英語の授業があり、日本に学びに来る留学生も多かった。ああいう場を、もっと増やしてほしいですね。

※UTokyo College of Design:東京大学の幅広い学術知とデザインの力を融合し、複雑な社会課題を解決して世界に変化を生み出すリーダーを育成する、新しい教育プログラム。2027年9月開設予定(文部科学省へ設置申請中)。詳しくはこちら

もっと、出たり入ったりしていい

――最後に、母校と学生の皆さんへメッセージをお願いします。

やはり、人生は何とでもなると思うんです。
そのうえで強く思うのは、もっとみんな、出たり入ったりしていい、ということ。今年、私と同い年で、同じ時期に社会に出た親友が、東大の博士課程に入学しました。彼は「ビジネスをこれだけやってきた今なら、学生の頃よりうまく研究できる気がする」と言うんです。私もその通りだと思います。

何でも線を引きたがるのは、人間の性分なのかもしれません。ビジネスとアカデミアも、あのキッチンとホールも同じです。けれど、その線は踏み越えてみたほうがいい。

研究室も、生え抜きの人だけでなく、起業や就職を経て戻ってくる人を受け入れていい。教授ですら、起業してまた戻ってもいいし、二足の草鞋でもいい。日本は、そこが少し固すぎるように思います。飛び出して、また戻る。それが新しい発見や、知の創造につながるのではないでしょうか。
私も卒業してから10年近くは、仕事に集中せざるを得ず、大学のことを考える余裕がありませんでした。それが今年1月、田中謙司先生(工学系研究科技術経営戦略学専攻)がシステム創成学科にて開講している「ビジネス入門」で講義をするなど、少しずつ変わってきています。

アメリカの大学の基金と比べれば、日本はまだ何十分の一、何百分の一の規模です。すぐに追いつけるものではないでしょう。それでも、同じ方向を目指していくべきだと思うんです。大学に集まった資金が新しい挑戦を生み、その果実がまた大学に還っていく。そうやって回っていく世界は、とても豊かなものになるはずです。

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(聞き手・文=二瓶仁志)