2025年08月08日(金)

前・大学院総合文化研究科 身体運動科学研究室 教授。
東京大学名誉教授。
現・同 広域科学専攻 特任研究員。
運動生理学、特に乳酸の役割に焦点を当て研究。「疲労物質」とされていた乳酸を、むしろ疲労を防ぎ、脳機能にも影響を与える有益な代謝産物として再評価する研究を牽引。
関係する東大基金プロジェクト
陸上運動部支援基金
2025年の年始、東京大学陸上部の古川大晃選手と秋吉拓真選手が、関東学生連合チームの一員として箱根駅伝に出場し、大きな話題を呼びました。中でも、若い陸上部員に混じって、東京大学身体運動科学研究室の八田秀雄先生(陸上部部長)が古川選手に給水する姿は、多くの視聴者の感動を集め、一時期「給水おじさん」がXでトレンド入りするほどの盛り上がりを見せました。
今回は、東京大学の在学生であり、東大基金のファンドレイジングサポーターとして活動している私・そらが、八田先生にインタビューを行い、陸上部への思いや、運動部に対する寄付の必要性についてお話を伺いました。
本日はよろしくお願いします。まずは八田先生のこれまでを教えてください。
私は高校時代、バレーボール部に所属していて、関東大会に出場するなど、かなり本気で取り組んでいました。大学進学後もバレーボールを続けるか迷ったのですが、最終的に陸上競技を選びました。個人競技である陸上には、自分で考えて工夫する余地が多く残されており、そこに面白さを感じたんです。ただ、4年間では足りなかったというのが正直なところです。
学業面では、実は他に志望していた学部もあったのですが、成績が届かず、当時の「体育学科」(現在の名称でいえば身体教育)に進学しました。その後は本郷キャンパスの大学院に進みましたが、当時、陸上選手の測定を行っていた先生が駒場に異動されたので、私もその先生と一緒に駒場で研究を続けることになりました。もともとは、体育の教員になるつもりはなかったんですよ。
先生の研究テーマは乳酸と聞きましたがどのような研究をしていたんですか?
400mや400mハードルのようなハードな種目をやっていたときに、「乳酸がたまる」という話を教育学部で何度も聞きました。しかし、当時からその説明に対して違和感を持っていたんです。たとえば、「乳酸は無酸素運動で生まれる」とよく言われますが、本当にそうでしょうか?酸素がなければエネルギーは作れないし、私たちは常に酸素を使って糖や脂肪をエネルギー源にしているはずです。それが進化の根幹でもあるのに、運動強度が高くなると突然「酸素を使わない運動」が起きるというのは、矛盾しているように思えたんです。そうした疑問が、私の研究の出発点でした。
研究初期は、同じ東大の陸上部に所属していた選手の測定を通じてデータを集めていました。その後、動物実験を中心にして、研究を進めていきました。定年が近づいた頃には、久しぶりに東大から箱根駅伝を走った近藤秀一君という選手がいて、院生の部員が「ぜひ彼を測定したい」と希望したことから、彼を対象にした研究も行いました。
陸上部にはどのように関わってきましたか?
定年前はコーチをしてから監督を務め、それから部長をやっていたので、ずっと関わってきたわけですね。
基本的に東大の運動部の部長というのは、選手が怪我をしたり遠征するときに承認のハンコを押すだけの役割で、活動には深く関わらないことが一般的です。ただ、ある部で未成年飲酒などが発覚したときには、部長が責任をとって処分を受けることもあったと聞きました。責任が重い割に、あまりメリットはありません。
でも私の場合は、試合を見に行ったり、結構深く関わっていました。最後には箱根駅伝でこんなメリットがあったので、ありがたい限りです(笑)
もともと私が所属していた身体運動科学研究室はもともとは、体育の授業で運動を教える体育の先生のための研究室だったんです。でも、今は研究第一の研究室になってきているので、先生方の中でも、いわゆるハンコ部長ではなく、実際に関わる部長というのはほとんどいません。そうした中で、箱根駅伝を通じて、こういう部長もいるんだということを示せたのは良かったと思っています。
箱根駅伝で垣間見られた学生さんとの絆がとても感動的だったんですけど、部員の方とはどのように関わっていましたか?
普段は、試合を見に行ったり、夕方の練習をちらっと見る程度ですね。監督をしていた時も、有力校のように練習に口を出すことはあまりありませんでした。そもそも監督とはそういうものだと思っています。
ただ、大学院生の部員とは研究面と部活面の両方で関わりがありました。
陸上の面白いところは、大学院生でも出場できる点です。しかし、箱根駅伝では、世界レベルの選手を大学院生として受け入れてチームに加えることを防ぐため、「大学院生だけでチームを組まなければならない」というルールがあります。実際には、大学院生だけでチームを組めるのは東大くらいしかありません。
東大の院生チームは、この身体運動科学研究室の院生が半分ぐらいを占めているので、私は特に大学院チームとの関係が強いんです。だから、大学院チームのことを気にかけることが多かったんですよね。大学院生との方が私は距離が近いです。
たとえば大学院チームの古川大晃選手(元東大陸上部員。今年の箱根駅伝では学生連合チーム9区を走った)もその一人で、そういった背景から、古川が「八田先生に給水をお願いしよう」と考えてくれたのだと思います。彼も常識にとらわれないところがあるのでね(笑)
他の大学の陸上部と比べた時に、東大の陸上部の強みや課題はどのようなところですか?
強みは、スポーツ科学を研究している人がすぐそばにいる環境だと思います。また先ほども申し上げたように、大学院生が出場できるのも大きな強みです。多くの大学では4年間で部活が終わってしまいますが、東大では実質的に8年間続けることができます。
やはり、学生の本分は勉強なので、競技の成績を上げるには時間がかかります。だから、大学院生でも競技を続けられるというのは本当に大きな強みです。
一方で課題としては、1・2年生と3・4年生でキャンパスが異なる点があります。活動の中心は駒場ですが、3・4年生は本郷キャンパスに移動するので陸上に割ける時間が限られてしまいます。昔は3・4年生でも授業そっちのけで駒場で練習している人もいましたが、今は成績評価や単位認定が厳しくなってきていて、それも難しくなっています。
また、入学自体のハードルが高いということも課題です。新型コロナウイルスの影響も、やはりまだ残っています。東大を目指すレベルの高校生は、コロナ禍では部活をしない選択をすることが多かったですよね。コロナが明けて今年で3年目ですが、他大学に比べて、運動をしてこなかった学生がまだ多い印象です。
これは東大生の体力テストのデータにも表れていて、成績がずっと下がっています。コロナ前から80年代と比べて下がっていましたが、コロナ後にはさらに下がってしまいました。特に腕立て伏せの成績がひどいですね。
やはり、コロナの影響は他大学よりも強く残っていると感じます。
でもそのような状況でも箱根駅伝に出場するような選手は出ているわけですよね。
そうですね。たとえば、秋吉拓真君(東大陸上部の4年生。今年の箱根駅伝では学生連合チームで8区を走った)。彼なんかは本当にすごい。
箱根駅伝の前日、私は秋吉に
「いよいよだね。みんな応援してくれているけど、それを背負うとあまりに重くなるから、自分のことだけに集中して走ってくれればいいよ」
とメールを送りました。すると彼から
「皆さんの応援を忘れずに、私は走ります!!!」
という返事が来たんです。
本当にすごいな、と思いました。彼は途中まで区間トップを走っていましたが、坂で苦戦して最終的には1位と30秒差の7位になってしまいました。もし彼が1位や2位だったら、私なんか関係なく、彼の話題でもちきりだったと思います。
秋吉がたすきを渡して一息ついた後、携帯でXを見たら、「自分の話題がなくて先生のネタしかありませんでした」と言われて、とても申し訳ない気持ちになりました(笑)。頑張ったのは秋吉なのに……。
2019年に箱根を走った近藤君もすごいです。高校時代から県トップレベルで、浪人中も陸上を継続して自己ベストを出しました。他にも、高校3年生の12月に高校駅伝を走った2か月後に東大に合格した部員も2人いました。
そういった文武両道な人の特徴ってなんですかね?
切り替えが上手ですね。スイッチのオンオフがはっきりしている。競技のことはちゃんと考えているんだけど、今やっているのはこれだ、という集中力があります。近藤が上手く言語化してくれたんですけど、
「両足立ちじゃなくてそれぞれ片足立ち。二刀流じゃなくて一刀流の積み重ね。」
資金や設備面では、他の大学の陸上部と比べてどのような違いがありますか?
幸いなことに、陸上部の資金面は非常に恵まれています。さっきご覧になった建物も、OBOGの寄付で建てられたんですよ。
ただ、かつてはグラウンドの舗装などに国から資金援助が出ていましたが、今度の部室再建などは全額陸上部で負担しなければなりません。だから、できるだけ寄付を集めることが必要なんです。たまたまうちには、そういったことに理解のあるOBOGがいたんですね。
昔から、陸上部は会費の納入率が比較的高かったんです。個人競技なので、卒業後も支援を続けるという文化が自然と根付いていたのかもしれません。
自身も2年生まで所属していたサークルのOB・OG会に参加し始めて会費の高さに驚きました。陸上部の皆さんはなぜ会費を払ってくれるんでしょうか?
やはり、自分が現役のときに多くの援助を受けていたからだと思います。たとえば遠征時の交通費を半額にするような支援をしています。今年なら七大戦が札幌であるので、往復で1万円くらいで行けるようにOBOGの寄付で支援しています。
「自分が受けた恩恵を忘れずに、その会費くらいは払いましょうね」
ということですかね。
そして「部室を建てましょう」「グラウンドを改修しましょう」といった寄付プロジェクトを立ち上げたときに、「じゃあもっと出しましょう」と応えてくれる方も、それなりにいらっしゃるんです。
寄付だけの力で部室が建ったんですね。
ありがたいことです。ただ、陸上部だけの部室にはできません。私がたまたま駒場で教員をしていたということもありますが、今度新設される部室は更衣室と倉庫とトイレを兼ねていて、授業でも使えるような設備とセットにしたから建てられたんです。自分たちだけが良ければいいというものではありません。部室を建てるといっても、実際に陸上部専用のスペースは3分の1くらいです。
でも、寄付は本当に大切だと思います。箱根駅伝の際、私にもいろんなメールが届きました。たすきリレーがあったことで、今まで箱根駅伝を「自分には関係ない」と思っていた人たちが、
「俺の大学が出てるんだぞ!!!」
と周囲に誇らしげに語れるようになった。それがとても良かったという声が多くありました。
それと、多くの人が見ている場で、
「昔、あの先生の授業を取りました」という投稿がXに出ていたらしくて、それを見たとき、教養学部を担当している教員としての喜びを感じました。
運動部には、そういう
「母校愛を思い出させてくれる力」
があると思います。
ありがとうございます。最後に、陸上運動部支援基金に寄付を検討している方へのメッセージをお願いします。
秋吉やります!!!
それ以外にも、とても面白い選手が東大陸上部にはたくさんいますので、ぜひ一緒に応援してください!
<インタビューを終えて>
八田先生が、陸上部の現役部員や卒業生について、親しみと愛情を込めてイキイキと語る姿がとても印象的でした。また、部長である八田先生から語られる、陸上部OBOGの会費納入に対するマインドセットや、部活動の利益と大学全体の利益を両立させる寄付の活かし方は、東京大学の他の運動部やサークルにとっても学ぶべき点が多いと感じました。
いつか私も、自分が所属していたサークルに寄付をし、その活躍を誇らしい気持ちで見守れるような存在になりたいと思います。