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東京大学基金第4回総長主催パーティー

写真:東京大学基金第4回総長主催パーティー
「2009年度収支の報告と感謝の集い」開催

7月9日の金曜日、駒場キャンパスにて、「東京大学基金第4回総長主催パーティー」が開催されました。当日は、「貢献会員」以上の東京大学の学外個人寄付者をご招待し、全国各地から約46名の方々がご来場されました。濱田純一総長からのご挨拶、2009年度東京大学基金活動のご報告、「忠臣蔵の真実~彼らは何のために討ち入ったのか?」と題した、情報学環・史料編纂所の山本博文教授の講演会に引き続き、懇親会まで、あっという間に楽しい時間が過ぎていきました。今回は駒場キャンパスから、その模様をリポートします。

濱田純一新総長からのご挨拶

最初のプログラムは、濱田純一総長からのご挨拶です。

写真:濱田 純一新総長

第4回総長主催パーティーが開催できましたのも、ご寄付をいただいた皆様からのご支援があってのことです。東京大学を代表して、厚く御礼申し上げます。今回が初となりますが、総長主催パーティーの会場となった駒場キャンパスは、東京帝国大学農学部の跡地を利用しており、今でも緑が豊かな場所であります。新入生は基本的に2年間、駒場キャンパスで過ごすわけですが、私が在学していた40年前と比べると、驚くほど綺麗な学び舎となりました。自然と最先端の学術機構が調和した、素晴らしい教育環境となったことを嬉しく思います。さて、2004年に国立大学法人化され、佐々木総長、小宮山総長が教育・研究環境の充実に努めてこられ、昨年度より私が新総長という大役を拝命いたしました。そして、任期である6年の在任期間も、はや残り4年半。世界も揺れ、日本も揺れる昨今、課題は多いですが、「森を動かす」という私の所信をもとに作成した大学運営の基本姿勢である行動シナリオ、「FOREST 2015」に則りながら、本学をより素晴らしい大学として進化させるため、また、よりタフな東大生を社会に送り出すため、日夜総長としての活動に励んでおります。国の中長期財政計画を見ますと、学術分野の予算は削減されていくばかりです。しかし東大には、世界から求められるリーダーをつくり続けるという重い責任があります。世界を担う卓越した知の拠点となるための活動の継続とそれを財政的に支える東京大学基金の充実を継続して参ります。皆様には、これからもなお一層のご支援を賜りますよう、あらためてお願い申し上げます。本日は、ご来場いただきまして本当にありがとうございました。

2009年度活動報告

次いで、杉山健一副理事より、2009年度東京大学基金活動の報告がなされました。

写真:杉山 健一副理事

周年寄付活動“東大130(ワン・サーティー)”キャンペーンのクローズ後、恒常的な基金活動をスタートしてすでに丸2年が経ちました。そして昨年2009年度は、申し込み総額約22億円の寄付をいただくことができました。これもひとえに本日ご来場いただきました皆様方をはじめとする、多くの方々からのご厚情とご支援の賜物と、深く感謝申し上げる次第です。22億円の使途をご報告いたしますと、約18億円が目的指定の寄付となります。残りの約4億円を基金に組み込み、運用していく予定です。2009年度のトピックスですが、新日本石油様からの先端科学技術研究センターへの建物寄付、三菱重工業様のご寄付による「航空イノベーション」総括寄付講座の設置、また、アメリカンフットボール部OB会の皆様からクラブハウス建設のためのご寄付などをいただいております。ちなみに、2010年3月末時点で、基金開設以来の寄付申込総数は2万1,383件(内法人531件)、総額で約217億円です。また、「“TODAI 2000”~2020年には2,000億円の基金へ~」を掲げ、活動に邁進しておりますが、2010年3月末時点で東大基金の資産期末残高は420億円。私たちが目指している目標は、まだまだ先にあるのです。息長く、着実にこの活動を継続させるためにも、法人だけではなく個人、ひとりでも多くの方々からご支援をいただきたいと考えております。特に卒業生からの寄付に期待したい。皆様には引き続き、より一層のご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。

写真:山本 博文教授

今回は、東京大学大学院情報学環・史料編纂所の山本博文教授に、様々な史料の解説を交えながら、赤穂事件の本質に迫る約40分間のスピーチをお願いしました。ここではその要約をお届けします。

年末になると歌舞伎や映画などの時代劇の演目として何度も取り上げられ、私たちにもなじみが深い“忠臣蔵”の話を、なぜ夏の盛りにするのか? 実は元禄15年の7月28日、京都の円山で行われた会議で、大石内蔵助は吉良邸への討ち入りを決定したのです。というわけで、この時期に“忠臣蔵の真実”と題した講演をさせていただくのも、あながち季節外れではないのではないかと思っています。ちなみに19名が参加した円山会議にかかった費用は金一両。今でいえば20万円ほどですね。

そもそも、仮名47文字と四十七士をかけた“仮名手本忠臣蔵”で語られるストーリーは、赤穂事件の本質とは異なる物語と考えておいたほうがよいでしょう。吉良上野介は本当に袖の下が少ないことを理由に浅野内匠頭に辛く当たったのか? 大石内蔵助が内匠頭の正室・瑤泉院から預かった資金はどのように使われたのか? 四十七士の男たちの目的は本当に主君のための仇討がすべてだったのか?――様々な史料を用いながら、赤穂事件の本質に迫っていきましょう。

秋田県公文書館にある『岡本元朝日記』によりますと、「吉良殿日頃かくれなきおうへい人ノ由~」といった文章が残っています。吉良は、飾っておいた掛け軸や壺をねだって自分のものにする癖があったようで、「吉良殿が来る際には宝物を隠しておくこと」とも記されている。そんな横柄な人物だったことがわかります。では、一方の内匠頭はどうだったのでしょう。元禄時代の殿様を評価した『土芥寇讐記』によると、利発だが若い頃から好色(女好き)で、家臣たちは出世のために美女を差し出していたそう。吉良も浅野も史料によると、あまり評判が良くなかったようです。
いずれにせよ、江戸城中「松の廊下」において、浅野内匠頭が吉良上野介への刃傷沙汰を起こしますが、内匠頭は即日切腹、上野介はお咎めなし。幕府はこの事件を「喧嘩」とはみなさず、喧嘩両成敗の鉄則を反映しない裁定を下すわけです。

ここにふたつの史料があります。“高田馬場の決闘”でも有名な堀部安兵衛の、「此侭(このまま)にあらば諸人に面をさらし、生前之恥たるべし」(堀部武庸筆記)。「吉良を生かしておくこと自体、武士としての自分の恥である」と堀部は書いています。また、大石内蔵助の、「千に一つも面目にも有之、人前罷成候首尾に成行候はば、亡君にも御快方には参間敷候哉」(十月五日大石内蔵助書状)。「浅野家再興の状況はかなり難しいが、もしも再興に成功して、そのうえ吉良を処罰できれば、亡君にとっても良きことである」と大石。堀部は自分の武士としてのメンツが大事。大石は、浅野大学を擁してのお家再興が大事でしたが、それが困難なことは自覚していました。両人に共通することは、主君の仇打ちという思いが希薄であること。彼らは、自分たちの武士としての面子をいかにたてるかが重要だったのです。
また、討ち入りに参加した四十七士のうち、神埼与五郎が妻に宛てた手紙、岡野金右衛門が母に宛てた手紙の内容を調べてみると、「討ち入りは武士たるものの務め」「義務である」という下りはありますが、「亡君のため」という忠義心がほとんど表明されていません。

武士にとって喧嘩両成敗が生きていくうえでのルール。それなのに「片落ち」したまま放っておくわけにはいかない。そこで反撃しなければ武士ではない。赤穂事件は、忠義というよりも、自分たち武士の自立性を示し確かめるべく突き進んでいった、侍たちの正義の戦いだったといえるのではないでしょうか。そして、吉良の屋敷に侵入し、弓などの“飛び道具”を使って吉良を討ったことが、“公儀を恐れず候段、重々不届き”と裁定され、四十七士は切腹を命じられます。武士としての生きざまを示した男たち。そして残された妻や母など女たち。赤穂事件の真相をひも解いてみると、江戸時代の人々の人情や、自己犠牲やむなしの精神が伝わってきます。

また、赤穂城を引き払うときに残った690両の赤穂浅野家の資金は、浅野内匠頭の正室・瑤泉院の持参金といわれています。このお金は塩田に投資されており、彼女はとても裕福だったようですね。さらに、この690両の中から、内匠頭の仏事費、浅野家再興工作費、そして討ち入りまでの費用を使っていたことが、箱根神社に保管されている『預置候金銀請払帳』を調べることで詳しくわかります。残された史料を調べることによって、現代を生きる私たちにも、あの時代を生きた武士たちの世界観が少しずつ見えてきます。新たな史料の出現・発見が、正しい史実の編纂につながるということです。今後も、東京大学基金ならびに情報学環・史料編纂所へのご支援をお願いいたします。

懇親会

写真:懇親会

数理科学研究科・大講義室でのプログラム終了後、ファカルティハウスに移動し、懇親会(立食パーティー)が行われました。懐かしい教授との会話に花が咲き、濱田純一総長や山本博文教授を囲んでの談笑、卒業生同士の新しい交流など、今年もパーティー会場にはたくさんの出会いと笑顔が生まれたようです。

ご来場者のコメント

恩返しも4年目になりました
東大には本当にお世話になりました。ここで受けた教育が、これまでの自分をつくってきてくれたのです。学生時代は貧しかったので、東大じゃないと卒業できなかったかもしれません。なので、恩返しのつもりで寄付は4年続けてきました。同窓会などで寄付の話をしていますが、みんななかなかしないんです。これからも、そんな後方支援をしていきたいと思います。(1964年法学部卒)

日の当たらない分野にも投資を
僕が出たのは経済学部ですが、いろんな意味で東大卒ということで得をした人生だったと思っています。なので、ささやかですがその恩返しをしているのです。母校に頑張ってほしいし、国際的なリーディングユニバーシティを本気で目指してほしい。いろんな研究分野がありますが、日の当らない分野、でも大切な学問への投資も忘れないでください。東大でしかできないことが、まだまだたくさんあると思うので。(1959年経済学部卒)

寄付者銘板に名前を刻みたい
正直に言いますとね、寄付活動に参加しようと思ったきっかけは、安田講堂の寄付者銘板に名前が刻まれるという話を聞いたからなんですよ。寄付の使用用途はお任せしますが、ぜひともタフな卒業生を育ててください。私は柔道部でしたが、社会に出てから、学生時代に得た体力、胆力、そして仲間たちとのつながりに何度も感謝しました。東大の学生には、ぜひ運動会で将来の武器となる何かを養ってほしいです。(1955年法学部卒)

タフなリーダーを
東大という最高学府には、若くてタフなリーダーを養成する義務があると思います。東大に望むことは、文系・理系問わず、たくさんのチャンス=可能性を提供していってほしいということ。形には残りにくいですが、海外でのボランティアなども、大切な学びの場となるでしょう。寄付に関しては、意思と思いがある使い方をしてほしいです。(東京都在勤)

世界の仲間と切磋琢磨を
息子が東大に入学し、大学から送られてくる冊子を見て、東京大学基金の存在を知りました。世界も日本も景気が悪いでしょう。そんな中でも若者には、できるだけいい環境で研究・勉強をしてほしい。そう思って、寄付をさせていただくことにしました。海外の有名大学で学ぶ日本人が減っていると聞いています。ひとりでも多くの東大生に、海外に出て世界の仲間と切磋琢磨してほしいと思っています。(愛媛県在住)

取材・文:菊池 徳行

※本学関係者所属、肩書きはすべて開催当時のものです。

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