富良野には、東京大学北海道演習林の林長を務めていらした「どろ亀さん(故・高橋延清教授)」が設計した、「文化村」という4町歩(4ha)もの広大な森がありましてね。それは、人間がどのくらいの割合で住めば森と共存できるかという壮大な実験の場で、木は切っちゃいけない、柵も立てない、ただし、家を建てる分だけ木を切っていい。道は舗装しない林道、水は沢から引く、電気は通してある。この場所に立った瞬間、僕は一発で惚れてしまって――その日のうちに、ここに永住しようと決めていました。
どろ亀さんとは、お会いしてすぐに意気投合しました。ある日、どろ亀さんが、「聰さん、俺は退職して最近ヒマだから、オタマジャクシの研究を始めた」って言い出した。演習林の中に3つの池があって、それぞれの池にカエルがオタマジャクシを産んでいる。でも全部別の種類のカエルらしい。どろ亀さんは、「これは斎藤さん、これは石川さん、これは中島さん」と名前をつけて2年間追跡調査をするんです。そしたら、すべて確実に別の種類だということが見えてきた、と。そこまでカエルに付き合って、さらに知りたいところが出てきてやっと、中学程度の参考書を図書館で借りて調べたら、3つのカエルの種類が判明して感激したって言うんですよ。この話を聞いて、僕はかなり感動しました。
第一次情報というものが、とても大事だと思っています。現在の情報社会は、第百次、第千次、第一万次情報が複雑に絡み合って成り立っているでしょう。多くの人が第一次情報を知らないまま、疑問も持たず、誰かの知識におんぶして物事を考え生きている。誰かの知識がもしも危ういものだったとしたら、何かが一挙に崩れてしまうわけです。僕は自分の思想が、そういうもので構築されるのは許せないんですよ。
どろ亀さんもきっと同じ考え方だったと思います。70歳を過ぎたとても偉い先生が、ネットや本などの情報に頼らず、カエルと池のフィールドワークから入って、つまり第一次情報を起点として研究を始められた。今の大学教授のほとんどは、先代が考えた受け売りをベースに授業をしています。そうじゃない生き方をされていたどろ亀さんは、“本物”だったなって。そんな方がかかわられた演習林の保全のために役立ててほしいということも、寄付をさせてもらった理由の一つです。
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