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第五回 : 桝田 淳二様

写真:桝田 淳二様
桝田 淳二(ますだ・じゅんじ)
Masuda International(桝田国際法律事務所)
日本国弁護士・ニューヨーク州弁護士
1943年(昭和18年)3月14日生
東京都出身。私立武蔵高校から、東京大学法学部進学。1966年(昭和41年)卒業。在学中の65年に、司法試験に合格。66年に卒業と同時に司法研修所に入り、68年弁護士資格を取得し、湯浅・坂本法律特許事務所に入所。2年間の勤務後、退職し、コロンビア大学のロースクールへ留学。ニューヨークの複数の法律事務所勤務後、帰国。77年、桝田江尻法律事務所を開設。91年末、再び渡米し、翌年1月、ニューヨークにて国際法律事務所を開設し、今日に至る。95年、ニューヨーク州弁護士登録。現在は、Masuda International(桝田国際法律事務所)の代表。
寄付者紹介
ニューヨークを拠点とし、アメリカを中心とする海外での日本企業のM&A、合弁、国際取引、特許侵害訴訟などで活躍する、国際法律事務所の代表弁護士、桝田淳二氏。大学時代の5年間は、「勉強そっちのけで、音楽部のオーケストラ活動一辺倒でした」と笑う。昨年、桝田氏から東大の国際化に役立ててほしいとご寄付をいただいた。今回はそんな桝田氏に、学生時代の思い出や、東大への期待をうかがった。

友人に誘われて音楽部へ入部。
オーケストラ活動にのめり込む

私は、東大しか受験していないのです。あまり深く考えずに、立派な大学だからここへ進もうと。無事、入学してからも、明確に、将来はこういう道に進みたいとは考えていなかったと思います。文科一類から、法学部に進みましたが、大学時代に何をやっていたかと問われれば、音楽部のオーケストラ活動にほかなりません。武蔵高校時代もブラスバンドでクラリネットを担当していましてね。同じく東大に進学したバイオリンが非常に上手な同級生に、一緒にオーケストラをやろうと誘われ、それがきっかけで、音楽一辺倒の学生時代が始まったというわけです。

バイオリンの彼はとても優れた奏者だったのですが、私のクラリネットはそこそこ。当時の音楽部管弦楽団には10数人のクラリネット奏者がいましたが、週2回の練習に通ううち、多くの人があきらめて辞めてしまい、1年の終わり頃には定期演奏会に出してもらえるようになりました。これは観衆の前で演奏した人にしかわからないことなのだと思いますが、オーケストラには麻薬的な陶酔の世界があるのです。2年には首席奏者となり、私はますますこの活動にはまっていきました。

法学部は3年になると勉強がとても忙しくなるので、本郷に進むタイミングを境に、音楽部を辞める人が多いのですが、私は違いました。始めた以上、オーケストラを極めてみたいと思ったのですね。そして、私はキャプテンとなって、100人以上の部員を率いるようになりましたので、最初から留年届けを出して、オーケストラに専念しました。結局、卒業寸前の定期演奏会にも参加していましたからね(笑)。

一番の思い出は、3年の夏の演奏旅行です。名古屋を皮切りに、5カ所ほどの都市を回るのですが、それまでは採算の面でうまくいっていなかった。私の性分なのでしょう。やる以上は完璧にこなしたいのです。事前に演奏する都市をすべて回り、演奏会場や部員が宿泊するホテルの手配、チケット販売の協力取り付けなど、周到に準備しました。その結果、演奏旅行は内容も収益面も大成功となったのです。

就職のタイミングを逸し、
司法試験への挑戦を決意する

2007年3月卒業式
法学部卒業生代表として

今でも思うのですが、自分ですべての責任を負って、その演奏旅行を成功させた経験は、私にとって本当に得がたい経験となりました。法学部の3年生が図書館で一所懸命テスト勉強している中、私はオーケストラのメンバーが使う譜面の写譜をしていましたから(笑)。当時はコピー機なんてないですから、当然、手書きです。みんなのために、絶対にやり遂げたい、成功させたいという気持ちがとても強かったことを覚えています。そうそう、私が学生の頃は、安田講堂の中に音楽部の部室があったのです。五月祭、駒場祭ではモーツアルトとブラームスのクラリネット五重奏を演奏するなど、活躍できる場でしたね。あとは、当時、まだ新しかった上野の東京文化会館で定期演奏会ができたこともいい思い出です。

そうこうしているうちに、私は同級生よりも1年遅れで4年生となり、周りの生徒はほぼ就職が決まったというタイミング。その段になって、自分は? さて、どうしようと思い立ったんですよ。就職に関しては、時すでに遅し。それで、音楽部の仲間3人で、夏頃から司法試験を受けるための勉強会を始めたのです。私の父も弁護士でしたから、意識はしていなかったですが、すんなり司法の道に進もうという決意はできました。そして、猛勉強の甲斐もあって、在学中に司法試験に合格。卒業と同時に司法修習生となりました。

若くして司法試験に合格したこともあって、「裁判官になりたまえ」と強く誘われました。しかし、裁判官は生涯歩む道が想像できてしまってつまらなく感じました。普通の弁護士になるのも、面白くない。それで、国際関係の弁護士になろうと決意したのです。その当時、国際関係を扱う国内でもトップクラスの湯浅・坂本法律特許事務所に修習生として実務修習をさせてもらい、弁護士登録後、採用していただきました。ちなみに、私の師であった坂本吉勝弁護士は、その後、最高裁判事になられた方です。この事務所に2年間勤務した後、コロンビア大学のロースクールへ自らの費用で留学するために、私は退所を決意します。退所前に、日本人としては異例でしたが、音楽著作権侵害訴訟を担当していたこともあり、高度成長期の70年当時、著作権研究者に授与されるフェローシップを獲得することができたのです。

48歳、日本人弁護士として、
初めてニューヨークに法律事務所を開設

コロンビア大学のロースクールを卒業した私は、ニューヨーク・ウォール街、その他2つの法律事務所で仕事を始めます。大きな仕事は、73年に東証の外国株式市場が開設され、その上場及び公募の1号案件を担当したことです。IU Internationalというコングロマリット企業で、それは大変な仕事でした。その手続きをほぼ完了させたところで、私は日本への帰国を余儀なくされます。東証の外国株式市場に上場した会社の代理人は日本居住者というルールがあったためです。ならば、国内で国際関係を扱う組織的な法律事務所をつくろうと、私は活動を始めました。77年、江尻隆氏をパートナーに迎え、桝田江尻法律事務所を開設。仕事は順調に増え、90年初め頃には30名を超える弁護士を抱えるまでの法律事務所に成長させることができたのです。

87年、外国法事務弁護士制度がアメリカの強引な手法で認められ、88年には多くの外国人弁護士が日本にやって来ました。しかし、相互主義なのですが、日本の弁護士が海外で活動する例はなく、一方通行ではおかしいと感じ、アメリカで国際法律事務所を開設することを決意します。クロスボーダーのM&A案件の扱いについては自信がありましたから、一所懸命やれば何とかなるだろうと。時は、91年、48歳の挑戦です。当時の日本はバブル崩壊、アメリカは湾岸戦争に突入。思わぬ大誤算に見舞われましたが、私は決して成功をあきらめませんでした。実は、5年続けて、もしもうまくいかなければ、その時は静かに消えればいいと思っていたのですが(笑)。
そして、92年1月に日本の弁護士として初めてニューヨークに法律事務所「Masuda & Ejiri」を開設。日本企業のために、すべて日本語で相談に応じ、M&A、訴訟、その他の案件を全面的に受任し、必要な範囲内でアメリカの専門弁護士を使うというやり方です。日本企業もパワーを徐々に取り戻し、私の事務所には外国企業を買収したいという日本企業からの依頼案件がどんどん増えていったのです。

そして、今年の1月、当事務所は15周年を迎えることができました。この5月から、東京の長島・大野・常松法律事務所と提携し、さらなる飛躍を目指しているところです。偶然ですが、長島・大野・常松法律事務所の代表弁護士である、原壽さんが東京大学の経営協議会の委員だったことにも縁を感じています。

国際社会の中で日本のVOICEは届かない。
国際化推進のために、貢献していきたい

2006年5月NY銀杏会同窓会で
小宮山総長と

アメリカで仕事をするようになってから、私は外国人として初のコロンビア大学のBoard of Visitorsに選出され、卒業生が母校を支える活動に参加しました。とても名誉なことだと思っています。この活動を始めるようになってよくわかったのですが、卒業生は母校を支える責任があり、そのための活動が自分自身の喜びにつながるんですね。そんな実感もあり、96年から、東大のニューヨーク銀杏会の理事を、そして過去数年は理事長をお引き受けするようになりました。年に1回の同窓会の総会では、国連の明石康さんや、作家の大江健三郎さんをお招きしたり、五嶋みどりさんの弟である五嶋龍君にバイオリンを演奏してもらったりしています。

また、東大が国立大学法人になってから、基金への寄付もさせてもらいました。もうひとつ、今年設立された東大の新しい海外拠点のイェール大学との研究室を運営するための寄付をアメリカで募るためのNPO法人「Friends of Todai」の理事長もお引き受けしています。ぜひ、私がお手伝いさせていただくこれらの活動が、東大の国際化に貢献できればいいですね。しっかり勉強しなかった私は、東大に5年間もお世話になったわけですから、しっかり恩返しをしなければと(笑)。同窓会(NY銀杏会)とNPO法人の事務局は、うちのニューヨークオフィスとスタッフをボランティアで提供しています。

小宮山総長も、アクションプランの一環として、国際化を強く推進されていますが、これには私も全く同感です。世界を舞台に仕事をしているとわかるのですが、国際社会の中で日本の評価があまりにも低いことに驚かされます。法曹界も、外を向かず、国内化現象が起きているといわれているのですが、日本の主張をしっかり、国際社会に反映させるためにも、東大生自身がどんどん、国際化していくべきだと考えています。そのためには1年でも2年でも留学するといい。そして、もうひとつ。大学は多様性を身につける場でもあります。東大生にとって、当然、勉学の研鑽も大切ですが、私のオーケストラ活動のように、勉学以外の何かに打ち込む経験をしてほしいです。いい意味での型破りであれば、何事にもとらわれることなく、勉学以外の何か、ひとつのことにのめり込む。これも大学時代にしかできない大切な経験なのですから。

取材・文:菊池 徳行

※寄付者の肩書きはインタビュー当時のものです

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