「ひらけ!赤門プロジェクト」始動
「まもなく創建200年を迎える東大のシンボル「赤門」。
閉ざされたままの赤門をよみがえらせ、ともに150周年を迎えたい」
赤門(旧加賀藩上屋敷の御守殿門)は、文政10年(1827)に加賀藩主の前田家13代斉泰が第11代将軍徳川家斉の21女・溶姫を迎える際に造られたものです。国の重要文化財として指定されている赤門は、貴重な歴史文化資産であると同時に、東京大学の象徴的存在でもあります。これまで長きにわたって人々の往来を見守り続けてきた赤門は、耐震性の問題から2021年2月12日(金)以降閉鎖され、今、その扉を堅く閉ざしています。
2027年に150周年を迎える東京大学は、150年間積み重ねてきた過去の叡智と、未来を切り拓く無限の世界をつなげる扉として、ともに歩んできた「赤門」を再び目覚めさせ、生きている文化財として活用し、きたる150周年をともに迎えたいと考えています。
プロジェクト責任者からのメッセージ
赤門をみんなの力で開こう!
赤門は今日、耐震補強が必要と判明したために閉ざされ、長らく通行できない状態となっています。
東京大学は、赤門を補強・修復し、その周辺環境の価値を高めて将来に継承していくべく、赤門周辺を歴史的エリアとして整備する大きな記念事業を計画しています。目標は、ふたたび赤門を通れるようにし、「世界の誰もが来たくなるキャンパス」の入口に、東京大学の次なる150年を開く門と、多様な人々が赤門周辺の歴史環境を感じながら集うスペースを生み出すことです。
東京大学が150周年を迎える2027年、赤門は200周年を迎えます。この素晴らしい契機に、晴れて赤門が開けるように、そしてその周りで歴史と未来が交差するスペースを創出できるように、ぜひ皆様のお力添えをお願いする次第です。
理事・副学長 津田 敦
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「守るべき赤門」。200年の歴史ある門。それが今なお現役の門として生きている奇跡。
「愛すべき赤門」。時代に翻弄されながら、その重責を忠実に担ってきた200年という門人生。
本郷キャンパスのほとんどは江戸時代には加賀藩の上屋敷でした。
赤門は加賀藩主の前田家13代斉泰が徳川第11代将軍家斉の息女溶姫を正室として迎えるにあたり、その住まいである御守殿とともに1827(文政10)年に建立された朱塗りの門で、正式名称を「旧加賀屋敷御守殿門」と言います。明暦の大火以後、将軍家から輿入れがある場合、三位以上の大名には朱塗りの高麗門を建てる慣習がありました。もとの位置は今よりも15メートルほどキャンパスの内側になります。 加賀藩邸の大半は1871(明治4)年に収公され文部省用地となりました。1877(明治10)年の東京大学創設に伴い、東京大学の敷地となり、御守殿門は本学に移管されました。東京大学における最も古い建物というだけでなく、焼失したら再建は許されなかったため、江戸時代の御守殿門の形と技術を今に伝えるただ一つの貴重な建造物となっています。1931(昭和6)年に国宝に指定、1950(昭和25)年に制定された文化財保護法下では国の重要文化財に指定されました。(東京大学ホームページより一部抜粋)
かの有名な錦絵「松乃栄」には、溶姫を載せた籠と行列が大きくうねり、赤門に入っていく様子が色鮮やかに描かれている。この錦絵を見てみると、赤門の前に大きなスペースがあることに気づくだろう。奥のほうに見える道幅と赤門前の道幅がずいぶんと異なるのだ。それもそのはず、赤門の周りにはもともと町家数百戸があったが、赤門前の民家からの火が赤門に移るのを防止するため、文政9年12月、将軍家では溶姫の「御住居」門前、つまり赤門の前一帯の町家を取り払うよう命じ、火除け地を作ったのである。
一方、前田家では、万が一御守殿門を焼失させるようなことがあれば、それは将軍家に対する忠誠心の欠如ととらえられることから、有名な加賀鳶という消防隊を組織し、御守殿門を火災から守った。一般的にも門は大名屋敷の命ともいわれていたため、火事には十分な対策が必要だったのであろう。
赤門の周りの町家の取り払いの様子をあらわす当時の川柳も残っている。
「御守殿が できて町家はかたはずし」
「かたはずし」というのは、町家の片側だけ外された地形が、御殿女中の髪型の一つである「片はずし」と似ていることにかけているという。赤門の周りにあった町家は、江戸市内に分散して代替地を与えられたということだが、将軍家の姫を迎え入れるための準備は並大抵のものではなかったことがうかがえる。
出典:学内広報1415号,P4 https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400004890.pdf
松乃栄|東京大学デジタルアーカイブポータル
本プロジェクトでは、みなさまからいただいたご寄付により、以下の事業を行いたいと考えています。
① 赤門を開く。さらに強くする。
赤門を再び開くとともに、さらに逞しくするための補強・修復工事等を行います。
② 赤門にまつわる歴史文化遺産を守り、共有できる場づくり。
赤門周辺で発掘された遺構の保存・展示や、その隣にあるUTCC(東京大学コミュニケーションセンター)の改修により、貴重な歴史文化資産や研究成果を多くの人と共有します。
③ 赤門ロード(仮称)をつくり、赤門周辺を開かれた場所に。
赤門周辺の環境整備や、「世界の誰もが来たくなるキャンパス」の入口として、多様な人々が赤門周辺の歴史環境を感じながら集うスペースを生み出します。
④ 東京大学150周年・赤門200周年をみんなで振り返る企画の実施。
総合研究博物館、附属図書館、文書館による3館合同展示等、150周年記念事業等を実施します。
※今後、ご寄付の状況にあわせて随時事業を進めてまいります。活動報告や収支報告については、本サイト上で皆様にご報告していく予定です。
赤門脇で発掘された貴重な遺構、それを多くの人に見ていただけるよう、新たに展示空間をつくります。
その展示空間は、コミュニケーションセンター前に南北に伸びる大庇の下に、遺構の環境を長く保全できるようにします。
またこの大庇は、コミュニケーションセンター入口前の軒下空間でもあり、赤門を訪れた方、東大を散策した方々が佇める休憩場所にもなります。
さらに赤門周辺は、舗装や歩道の整備も併せて進めます。車優先の車道ではなく、むしろ歩行者が自由に歩き佇めるような、ゆったりとした歩道を整備し、明るく快適な広場状空間に刷新します。
この遺構展示と大庇、トイレや守衛所の整備、舗装や歩道の刷新、そして赤門の耐震補強工事を通じ、赤門周辺は、安田講堂前の銀杏並木とともに、東大を象徴する新たな空間として生まれ変わります。
大学院工学系研究科教授(建築学専攻) 千葉 学
赤門のない東大を想像してみてください。
赤門がただの古い門ではなく、いかに東大に気品と風格を与えているかを実感できるでしょう。
東大が「世界の誰もが来たくなる大学」になるために、赤門は欠かせません。
これからの東大の150年のために、赤門まわりの歴史的環境を確実に保全し、未来に引き継ぎましょう!
2024年12月18日(水)
12月の寄付月間にあわせ、本プロジェクトにおける関連イベントとして、12月11日(水)に特別セミナー(オンライン)を開催しました。オンライン形式で行われた本セミナーに、当日はZOOMウェビナーおよびYouTubeライブにて、最大160名の皆様にご視聴いただきました。
この地の200年を見てきた赤門の歴史を改めて知り、東京大学の次の150年を拓くシンボルとしての赤門と、その周辺をはじめとする本郷キャンパスの未来をどのように描くのか。2つの講演と座談会で、プロジェクトメンバーの先生方に東京大学150周年記念事業「赤門周辺の歴史的環境保全事業」の全容を語っていただきました。
会場は、本郷キャンパス内にある国指定文化財(名勝)である懐徳館庭園(旧加賀藩主前田氏本郷本邸庭園)内の懐徳館。当日はオンラインイベントながら、その歴史と風格漂う中継となりました。
講演Ⅰでは、「赤門周辺の歴史的環境~200年の軌跡と奇跡」と題し、松田 陽 准教授(大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻)より、建設以降、これまでに赤門の直面してきた主要な出来事や、赤門周辺の歴史的環境について、様々な資料・写真と一緒にお話しいただきました。
続く講演Ⅱ では、「時間と空間を紡ぐこと」と題し、オンラインにてご参加の千葉 学 教授(大学院工学系研究科建築学専攻)より、これまで行われてきた学内の建築物の竣工に関する紹介のほか、赤門や赤門周辺の修繕工事がどのように検討・計画されているのか、完成予想図等を見ながらお話いただきました。
そして、第3部となる座談会では、テーマを「赤門と刻む、東京大学の次なる150年とは。」として、加藤 耕一 大学院工学系研究科建築学専攻教授のファシリテートのもと、両講演者と津田 敦 理事・副学長・社会連携本部長による鼎談がおこなわれました。歴史や建築といった様々な視点から、赤門を復活させることの意義や、本学における赤門の存在意義、そして赤門とともに歩む未来の理想像等について語りました。
今後も本プロジェクト関連イベントは継続して実施する予定です。
引き続き、本プロジェクトへのあたたかいご支援をよろしくお願いいたします。
<ひらけ!赤門プロジェクト>
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また復活して、今度は家族で通ってみたいです!
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